昨日のカウンセリングで話したこと

昨日は朝の4時半に寝て、14時に起きました。起きたというか、蒸し暑い部屋の空気と心にのしかかる重い何かで目を覚ましました。朝が1番辛いです。大嫌いです。週3で早朝の6時~9時のバイトに行っていたくらい朝型の人間だったのですが、彼に振られてからはもう朝が怖いです。1日のうちで1番死にたくなります。私をこんな状態にした彼が死んでしまえばいいのに。どうせ今後も会えないのだから、彼が生きていても死んでいてもどちらでもいいです。いや、やっぱり死んでいてほしい。車に轢かれて血まみれで死んでしまえばいい。彼にこんな感情を抱けるくらいにはなりました。

さて、忘れないためにも、昨日のカウンセリングで話したことをまとめていきたいと思います。以下、私が先生に話した内容です。



1週間前に彼と別れてから、明らかに私の精神状態がおかしくなりました。朝起きられない。食欲がない。息がしづらい。訳もなく涙が流れる。大好きなギターを弾きたいとも思わない。他人がどうなろうが一切興味が無い。何かを破壊したいという欲求が常にある。そして、あわよくば安らかに消えてしまいたい。

大前提として、私はきっと極度の寂しがり屋なのだと思います。私は基本的に誰とでも仲良くなれますし、友達も多い方だと思います。しかし、どこか満たされない気がするのです。それはきっと「誰かのオンリーワンではないから」だと思うのです。
私にもたくさんの友達がいるように、私の友達にもたくさんの友達がいます。彼女たちは私のことを「〇〇は本当に面白い!一緒にいて楽しい!」と言ってくれるのですが、所詮私は「仲のいい友達のうちの1人」にしかなれないのです。「誰かにとっての唯一の1人」ではないのです。
その点、恋人や夫婦という関係は、お互いがお互いのことを「唯一の1人」だと認め合っています。誰かに唯一の一人として認められたい、求められたい。これはあのマズローも説くように、人間の基本的欲求の一つですが、私はその欲求が人一倍強いのだと思います。独占欲というか支配欲というか、とにかく愛する人から唯一の存在として愛されたいのです。

思えば私は昔から〇〇長という仕事ばかり務めてきました。皆さんの周りにも、いつもリーダー役を進んで買ってくれる人がいたかと思います。私はそういうタイプでした。小学生の頃は友達も多く先生からも好かれていたので、数えきれないくらいのリーダーの仕事を任されました。学級委員長、学年リーダー、部長、委員長、150周年総代などなど…。平均より仕事ができる方でしたので、余計に求められました。
そして中高でも班長や学級委員長、バンドリーダー、部長、委員長など。大学では現在学祭局長や新歓担当をしていて、来年度は部長を務める予定です。

このようにわざわざ多くの仕事を引き受けることに対して、今までの私は「私は忙しい状況が好きで、仕事をするのも好きだから」と思っていました。しかし鬱の症状が出始めてから思うようになったことがあります。それは「“○○長”になることで、その組織の中で必要不可欠な存在になりたい」ということです。〇〇長がいないと、その組織は成り立ちませんよね。生身の私自身は現在そういう存在として求められていません。求められているのかもしれませんが、不幸なことに、今の私はそれを自覚することができません。だからこそ、自分から進んで〇〇長になることで、せめてもその組織の中で「必要不可欠なオンリーワンの存在」になろうともがいているのだと思うのです。

昨日この根本原因を見つけてからというものの、私は昔から寂しかったのだろうなと気付いてあげることができました。気付くのが今になってごめんねという気持ちと、これからは自分を目一杯愛してあげたいという気持ちが錯綜しています。20年間寂しかったんだろうなあ。涙でキーボードが見えなくなってきました。今日くらいは悲劇のヒロインでいさせてください。どうか許してください。

個人的な思い込みですが、こういう人って家庭環境が特殊だったりするイメージがありました。しかし私は両親や兄弟がみな元気で、両親とはよくお出掛けするくらい仲が良いです。母親のことは人生で一番尊敬しています。母親みたいな人間になりたいと心の底から思っています。この家庭に生まれてこれて良かったな、と何度も思ったことがあるくらいです。
なのでまさか私がここまで極度の寂しがり屋であることは、自分が一番驚いています。この鬱症状の原因が「極度の寂しがり屋」なことは自分で気付けたのですが、じゃあなぜここまで極度の寂しがり屋なのかについては分かりません。思い当たる節が本当に無いのです。ここは今後のカウンセリングを通して少しずつ分かればいいなあと思います。

大人の恋愛は家を継ぐだとか色々な要素があると思いますが、大学生の恋愛の多くは寂しさ予防だと思います。彼氏持ち、というステータスで付き合っている人も一定数いるように思います。思い返せば私の恋愛は寂しさ予防でしかありませんでした。彼との思い出を振り返ってみても、抱きしめられている瞬間やキスする直前の彼の顔しか思い出せないのです。向かい合ってご飯を食べている時に話した内容などはあまり覚えていません。早く処女を捨てたいという思いも確実にありました。まあまだタイミングが合わず、丁寧に守っている訳ですが(笑)

寂しいから適当にマッチングアプリとかで「彼女」の地位を自分に与えてしまうのです。20歳の女性なんて、こちらがその気になればアプリ上では簡単に彼氏(笑)なるものが作れてしまいます。ですがそこでできた付き合いは「相手のことが好きだから」という理由ではなく、「自分の寂しさを埋めるため」という自分本位の理由です。だから別れ方も自分本位なものになるのです。普通、初めてのお泊りの前日に「やっぱもう無理、会いたくない」と相手に言えますか?しかも夜中に電話で一方的に。大学の授業やバイト先で出会った人であったなら、もう少し相手のことを考えた行動を取れると思うのです。

マッチングアプリという特殊な出会い方に加え、私の精神状態が重なって、今はこんな状況になっているのだと思います。文字で書くと何とも馬鹿馬鹿しく思えてきました。

決意表明として書いておきますが、もう今後しばらくはマッチングアプリはやりません。そして恋愛も。自分で自分のことを愛せない状態でやるのは、自分が幸せになれないと思います。

私は結婚を人生のゴールだと考えているのですが、同世代の男性で結婚まで考えてお付き合いしている人は果たしてどのくらいいるのでしょうか?結婚できない人と付き合うのはもう疲れました。そう考えてみると、今は友情を確固たるものにする時期だと割り切って、就職して、仕事に精を出して、同性代が結婚を考え始める時期になったらその流れで自分も…という感じでいいかなと思います。
自分で書いておいてアレですが、「今は友情を確固たるものにする時期」という言葉、とっても気に入りました。
 

カウンセリング内容を書くつもりが、あまりにも言葉が溢れ出てきてしまって3000字近くも書いてしまいました。3000字のレポートはあれだけ苦労したのに。

だいぶ心も落ち着いてきたので、バイト先のお客さんからもらったプリンでも食べながら学祭の資料を作ってギターの練習をします。

自分のことを愛してあげたい!