見出し画像

寺山修司『レミング』脚本の差異について:B機関2021年公演 観劇録

2021年、B機関『レミング』公演を観ました。
力強い劇でしたので、私的な備忘を記します。

画像引用:http://img-cdn.jg.jugem.jp/95e/2297520/20211015_2244408.jpg



はじめに 

本公演は、舞踏と劇、双方への興味を強く惹きたてる劇でした。
寺山修司の脚本『レミング』を観るのは初めてだったけれど、幕ごとの挿話同士を行き来する(フィクション同士の壁をまたぐ)のが楽しかった。

こうして備忘を書く気になったのもひとえにこの公演の力強さにアテられたから。
観劇後、その力強さは何処に由来しているか考えたくなった。

劇は総体として成り立つから、要素を分解するのは無粋なけれどあえて取り出せば、
演者・脚本・演出(構成)・舞台・音響・照明・主催者・時代 
などが思い浮かぶ。

今回の劇には舞踏が強く組み込まれており、その意図を掴むためにも、
同脚本での別演出・別演者での公演も知りたくなった。

というのも、本作は筋書きからして、演出の幅がかなり広そうだったから。

寺山の戯曲は現代でもしばしば翻案され公演されているが、そのいずれもが「現代において自らが再演する意義」について必ず考えている。

よって、元脚本との差分を見出すことは印象の整理に役に立つだろう。

というわけで本稿では、
過去の「レミング」の脚本をもとに、
本公演における演出とについて考えてみます。


レミングの元脚本について

そもそも、レミングには脚本が2つある。

79年版と、82年版。

それぞれサブタイトルが異なる。

79年版は「世界の涯てへ連れてって」。
82年版は「壁抜け男」。

黄緑の表紙が79年版。白が82年版。

主題はどちらも、都市生活者の内面にある「壁」。
この「壁」について語るべく、生活空間の「壁」、劇中の各幕どうしの「壁」、観劇者と作り手の「壁」、フィクションと現実の「壁」、自己と他者の「壁」などが目まぐるしくリンクしていく筋書きだ。

ざっと読み比べてみると、ちょこちょこ違いがある。
両者の違いは、それぞれが公演される舞台会場ごとに最適化しようとした結果と思われた。

まずは79年版と82年版との差異を見てみよう。


79年版について

舞台の会場は晴海の倉庫。
そもそもにして芝居小屋ではない。

広大で開放的な場所を活かし、かつ舞台装置としての壁などを大きく操作できるため、観客と舞台とのしきりを曖昧にするのにうってつけだった。

60年代~70年代に隆盛した市街劇 [1] の目指した一方向である「観客と演劇(演者を含む場)の壁を取り払う」という目的を体現した劇だったようだ。

註:市街劇 [1] とは

日本においては、1960年代に社会情勢への不満などの理由から活発化した「小劇場演劇」により、従来の演劇的構造が再考された。
寺山修司は、「演劇は鑑賞する時代からつくり手と観客とが演劇を相互創造する方向」を目指すべきだと言い、日常の現実に外部からの異物を混入することで両者の境界線を消失させる試みを市街劇という形で模索するようになった。そして、狭義の劇場という概念から離れ、戯曲の形式や演技手法、舞台デザインなどの演劇の構成要素の変革にとどまらず、構造そのものを問い直していった。

引用
http://art.arch.cst.nihon-u.ac.jp/2010/m_fujiisayuri.pdf



なお、『レミング』は、
おなじく東京・晴海の東京国際見本市協会B館で公演された
『奴婢訓』(昭53)
『百年の孤独』(昭56) (のちに「さらば箱舟」に改題)
とあわせて〈晴海三部作〉とも呼ばれている。 

僕は見逃したので、他の方の劇評を見てみよう。



※このさき、ネタバレ含みます!

『レミング』をこれから見たい方は、この先は読まないほうがおトクです!
数年おきにいろんな劇団が公演していますから、ぜひ観てみてね。
初見だからこそ受ける衝撃が、とてもよかったので…。




観客は最初 割合こじんまりとした劇場に案内される。椅子はなく床にそのまま座る。
実際、演劇が始まって しばらくは 主人公 『王』 という料理人が半裸で大きな中華鍋の中に膝を抱えて独白していた。
舞台装置が展開して最初の壁が消える。
バラバラと十数人が舞台下に降りてきた。たまたま狙われた人に一方的に自分の身の上話?相談?その内容はよく解らないけれど話しかけていた。私の友人は話しかけられ膝を抱えてすっかり固くなって下を向いていた。十数人の話し声が一方的に聞こえてくる。新聞の評論通りちょっと怖い演劇だと思った。

(中略)

話が展開するたびに 音楽が鳴り歌が歌われ 内側から壁が取り払われていった。
次から次へと 場面が展開するたび 観客の周りは広くなって来る。そして暗く舞台照明の明るさしか無かったところに少しづつ外の光が入ってくる。
午後から始まった演劇は
夕方に差し掛かって 外光が入る頃は 夕日だった。
そして最後は舞台しかなくなり登場人物も消えて終わる。

終わった後 観客はガランとした夕日の入る大空間に残された。

 引用
https://mog11sae.exblog.jp/25459211/



…… おもしろそ~!!

劇で情緒をめちゃくちゃにされた後に浴びる夕日と風、めちゃ気持ちよいだろうなあ。

見てみたかったな……。

82年版について

会場は新宿・紀伊国屋ホール。
借りた脚本の奥付に当時のビラが糊付されていた。(うれしい)

82年版脚本に付録されていた当時のビラ(コピー)

どんな舞台だったのか。
82年版の映像を見てみる。

79年版の映像は見つけられなかったけど、82年版はVHSが残っていたよ

※ 追記:79年版『レミング』は「演劇実験室「天井桟敷」ヴィデオ・アンソロジー」に収録されています。『奴婢訓』『百年の孤独』もあわせて収録。

紀伊國屋ホールでの公演。
晴海倉庫とは異なり、大掛かりな舞台装置のない固定された会場だ。
脚本も書き直す必要があったのだろう。

大掛かりな演出ができない分、舞台劇としてのエンタメ性を充分に発揮するために、コメディとしての要素を強めている。

上記の差異は脚本からも読み取れるので、詳しく見てみよう。

79年版と82年版との差異

両脚本とで目立つ差異は以下。

  • 見習いコック 王(ワン)とほぼ同じ役回りとして、兄(ツー)が新設されている

  • 「兄妹」が「夫婦」に変更されている

  • 王(ワン)の独白で終わるラストシーンが、王(ワン)と兄(ツー)の会話と両者それぞれ異なる終わりへと分断されている

  • レミングと壁抜け男についての言及が追加されている

まず、コックの兄、ツーの新設について。
79年版のワンが、ワンとツーとに分割されたような形だ。

コメディ要素がどう増えているかといえば、たとえば最初の導入の場面。
独白から掛け合いになることで、内容もわかりやすくなり笑いも生みやすくなっている。壁の効果音がうまくハマっていて、見ていてたのしい。

最初に「この劇で笑ってOKですよ」という暗黙のメッセージを伝えることで、その後の劇も見やすくなる。
くわえて、その後、笑っていいのかシリアスなのか判別しづらい場面が頻出するなかで、他の観劇者との笑いどころのツボの差が気になってくる。自己と他者の「壁」を意識するわけだ。

次に、兄妹から夫婦への変更について。
金星人に憧れる兄妹から、重病人の夫を看病する白塗りの妻へと変更されている。
バカでかい体温計に振り回される人々がいかにも馬鹿馬鹿しく、つい笑いが漏れる。
兄妹によるインモラルなシーンも消えている。


ラストシーンの差異、レミングと壁抜け男について。
79年版から一部を抜粋する。

79年版:ワンによる独白

79年版で、ワンは一面の荒野と化した初期地点に戻り、歩き去る。

82年版では、ワンは箱と化し、ツーは壁が無力化された都市に紛れ込む。

82年版はこちら。

82年版:ほぼツーによる独白。レミングへの言及あり

79年版の脚本中にはレミングについての言及がなかったと思う。
ネズミは出てくるのだけど。
82年版はよりわかりやくなるよう配慮されているんだろうな。

※なお「レミングが集団自殺をする」というのは、1950年代撮影のディズニーの動物ドキュメンタリー風映像によって有名になったデマです


レミングと聞くと、大槻ケンヂが、岡田斗司夫との対談で話していたくだりを思い出す。

" 中学のときには確か「われわれは海に向かって全員で自殺していくペンギンの群れに似ている」とか言ってたんです。 (中略) だから、宮崎勤事件のときに俺が思ったのは、被害者がかわいそうだということよりも、宮崎勤という人間に対して、俺もこうなっていたかもしれない、僕が行き着かなかったところに、彼が代わりに行ったんだって。"

ペンギンもレミングも、とてもリリカルだ。
彼らからしてみれば自殺するために飛び込んでいるわけではなかろうが、そんな事実とは関係なく、言葉として、視覚的イメージとして訴えかける力が強い。
それは、わたしたちの戯画でもあるからだろう。
追い立てられ、パニックのなか狂奔し、みずから水底へ落ちていく。
自殺者も犯罪者も、"健常"な都市生活者も、みなそれぞれの狂奔に追い立てられている。
どんな辺鄙な土地であれ、日本にいる限りは「都市」に囲まれている気がする。
ぼくらの行き着けないところへ向かって、ワンは荒野を歩いていく。

どちらのラストシーンでも、見渡すは一面の荒野。

荒野はどこにあるのだろうか。
寺山の一節を引く。

君の魂のゴミタメのなかにしか荒野は見いだされないことを、君は知っているのか?

寺山修司 著『ぼくが戦争に行くとき 反時代的な即興論文』中央公論新社,2020




今回の公演について

今回のB機関による公演は、79年版の脚本を元にしていた。

元脚本と大きく変更されているポイントは2つ。

  • 元の脚本では囚人は2人共死ぬが、片割れが死なずにチョークで描いた舟で南の島を目指す。

  • 舞踏を担う「軍神」という役が新設されている。

この2点が白眉と思われたので、詳述する。


1.囚人の場面

元来、79年版と82年版とで差異はない場面だ。
この公演での演出意図を考えてみる。

元の2脚本と同じく、囚人のペアは測量士のペアが兼任する。
どちらも象徴的な役まわりだ。

測量士は、役に立たない仕切りとして、しかし人々の内面を切り分ける「本(フィクション)」という壁を持ち込む。

劇中に「壁」を持ち込む測量士とは対照的に、囚人は壁に囲われている。

けれど囚人は、話の中では唯一、壁に出口を見出すキャラクターともいえる。(たとえその出口がニセモノで、たどり着けないものだとしても)

なにより着目すべきは、囚人の幕は、劇全体と同型ながら、劇全体からは独立した挿話でもある点だろう。

劇全体の筋書きは、コックのワンが突然流れ込む各寸劇に翻弄されつつ壁のある四畳半から壁のない四畳半(荒野)へと行き着く流れ。
囚人の筋書きも同様に、囲われた男が突然流れ込む各寸劇に翻弄されたあげく銃殺される流れだ。

ワンが登場しない、この幕に与えられた題は「間奏曲」。
すなわち、この幕は『レミング』の、入れ子のレプリカである。
この幕への変更は、劇全体の意味づけが元脚本と異なることを暗示する。

元脚本で、囚人は二人とも死ぬ。
壁に囲われたまま。
出口にたどり着けぬまま。

だがこの公演における囚人は、片割れが生き残る。
そして片割れは、二人で壁に描きつけた出口のかわりに、ひとりチョークで舟を描き南の島へと漕ぎ出していく。
この試みの結末はわからない。
荒唐無稽だが、しかし不可能とは言い切れない。

寺山の著作にこんな一節がある。
レミングの主題と同じく、都市生活者の壁についての一節。

この東京の真ん中にいて『ロビンソン・クルーソー漂流記』のように生きてみたいと思うのはバカげたことだ、という人もいるかもしれない。しかし、ビルの乱立と人口の増加というのは、ただの統計学的な問題であって、私たちは百年前と比べて百倍もの「隣人」を持っているくせに、友情などというものに、ロマンチシズムを感じないようになってしまっている。だれも心の中に無人島を持っているからである――

寺山修司 著『ぼくが戦争に行くとき 反時代的な即興論文』中央公論新社,2020

南の島は、きっと無人島だろう。
そして無人島が心の中にあるならば、チョークの舟で行き着けないとは言い切れまい。

長くなったのでまとめる。
元脚本における囚人が壁からの脱出不可能性を提示していたとするならば、本公演での囚人は逆に脱出の可能性を提示している。

「間奏曲」の差異はわかった。
では劇全体の意味づけはどう異なるのか。

鍵となるのは、もうひとつの差異である「軍神」だ。

2.軍神について

軍神は喋らない。
軍神は舞踏を担う。
軍神は唯一、囲われていない。
軍神は不意に幕間や劇中に現れ、しかし劇の筋書きそのものには関与しない。

つまり、軍神は「壁」の外の、なにか大きな力そのものであり、寸劇たちを駆動させている力のことだと読める。

そう読むならば、筋書き全体の意味も、元脚本とは異なってくる。

なぜなら、元の脚本で劇を駆動させるのは、壁を前提とした都市生活における壁の消失というイレギュラーと、それに伴う対流だから。

元脚本でネズミたちが自殺をするのは都市生活と不可分の神経症のためだとすると、この脚本でネズミたちが狂奔するのは軍神が象徴する身体的本能のためである。

元脚本での囚人の死を、壁から逃れることの不可能性の象徴だとすると、囚人の舟の行き先はラカンが言うところの想像界のような場だろう。鏡像としての片割れの喪失を契機に、象徴界からずり落ちて。

79年版のワンは、荒野に呑まれ消失する。この公演でのワンは、きっと荒野を歩き進めて、姿は見えなくなろうともいずこかに行き着く。

おそらく、軍神もそこにいる。

感想まとめ

本公演は、79年版の脚本の前提となる舞台転換ができないことによるカタルシスの不足を、舞踏を組み込むことで補っている。
物語の推進力は軍神に仮託され、補強されている。
舞踏は身体性による眩暈をもたらし、寸劇と寸劇の間の、そして観劇者と舞台との間の「壁」を揺らがせる。

「間奏曲」(囚人の場面)の変更と軍神の新設は、「壁」に対して別の読み方を提示している。

「劇内に位置づけられない / 壁に左右されない場所」として舞踏を組み込むことで、「出口」を示唆する作りとなっており、鑑賞後が爽やか。

脚本として79年版を選んだのは適切と思われる。
82年版は笑いの力がとても強く、舞踏のシリアスさをも冒しかねないため。
また、82年版の結末ではワンが箱になってしまうので、「出口」のメッセージがぼやけてしまうため。

来場案内


おまけ

音楽について

本作で用いられている音源・曲ともに、天井桟敷で演出・音楽を務めたJ・A・シーザーによる。
少女椿少女革命ウテナの音楽( 絶対運命黙示録
異邦人の揺籠歌 など)なども手掛けている人。

すきな曲

・少女椿のテーマ
・こどもぼさつ
・地獄篇
・藁人形の呪い

あとがき

ナマで劇を見るのは、たのしい。

"物語"は言葉によって整理されるが、本来、言葉と肉体とは属している領域が異なるのだと思う。
たとえ、肉体から言葉が紡がれ、言葉が肉体を震わすとしても。
言葉の指し示す場所は受け手にとっても発話者にとっても常に虚構だろう。
(別にそれはそれで構わない。フィクションだいすき!…… )

劇には肉体が伴う。
演者の肉体と、観劇者の肉体。
不可逆的な一度きりの体験が、物語を強く肉体に刻み込む。
(ライブに行くとたのしい!みたいな話)

肉の震えには、言葉では掬いきれないよろこびがある。
もちろん、くるしみも。



付記1

このメモを書いたあとに下記の記事を読みました。的確な解釈と思います。下記の解釈にのっとれば、本稿とはまた別の読み方が出来るでしょう。

しかし、本稿で問題にしたいのは、寺山が、「今回の劇は、「壁」というのではなく、『レミング』というタイトルなんです。レミングというのは、集団自殺するために出てゆく旅鼠なんだけど―その鼠と壁とをつきあわせる「台」(ターブル)、すなわち舞台がいま問題だと思う」(『地下演劇14』)と言っていることである。
 どういうことだろうか。そもそも、寺山の言う「レミング」とは一体何だろうか。
 寺山は「歴史的には「天変地異が起きたとき、その一年前には、かならず打物を片手に道を踊り歩く人々の姿が見られた」(ええじゃないか)ことは、壁を抜けて集団自殺に向かう旅ネズミ(レミング)との類似性において論じられてきた。壁とその消失、そして方向を失った大家の群れを描こうというのが、この作品のねらいだったとも言える」(『寺山修司戯曲集3』)と書いている。ここからわかるのは、壁の消失によって次々に他人の夢に巻き込まれてゆく王(コック1,2)が、いわば「レミング」ないしは「レミング予備軍」として描かれていたということである。
 もちろん、「レミング」は壁を抜けつつも、最終的には集団自殺してしまうネガティヴなイメージをもつものだし、ファシズムのにおいすらするものである。しかし、寺山が「鼠が集団で突然、狂走する、というのは「ええじゃないか」や「お蔭まいり」などの一種の集団舞踏、つまり踊狂に換喩できると思うわけです。人間の内面化が、あるぎりぎりのところで、裏側から皮膚をしめつけ、せり上り、揺れはじめて踊り出す。何かが内側からバリバリと皮膚を破ってあふれ出す。壁破りだと考えていた」(『地下演劇14』)と発言しているように、「レミング」とは、壁にせき止められた生を開放するものでもある。そこで、寺山はこれに積極的な意味を授けた。隣室の兄妹の妹(改訂版は隣室の夫婦の妻)と母が密約を結んでできた合言葉「とび出すネズミがたった一匹!」と「レミング」を抱きわせることによって。「レミング」ないしは「レミング予備軍」である王(コック1,2)は、この合言葉によってレミングすれすれの場から逃れ、生き延びるのである。

引用元
https://uicp.blog.fc2.com/blog-entry-320.html


付記2

補足:寺山の市街劇について

実際に,寺山が海外の前衛演劇から受けた影響などをもとに1970年以降発展させた「市街劇」においては,観客は寺山の言う臨場感のある場面に半ば強制的に関与させられている.
たとえば市街劇の1作目である『イエス』において,観客はまず,天井桟敷が所有する劇場「天井桟敷館」で上演を観る.その後観客は行き先のわからぬバスに乗せられ,都内のマンションに行き着く.そして最終的に,観客は見知らぬ夫婦の家に押し入ることとなる.突然訪れた来訪者に驚き,立ち入られることを拒否する夫婦は,じつはパフォーマーであったことがのちに観客には知らされる.しかし,少なくともそれを知るまでの間観客は,他人の家に無断で上がりこむという犯罪まがいの行為の共犯者にしたてあげられるのである.
また,1975年の市街劇『ノック』は,より規模の大きなスキャンダルを引き起こした.杉並区の高円寺・阿佐ヶ谷一帯で展開されたこの市街劇では,その地域に住む住民とのトラブルが生じ,演出を手掛けた幻一馬が逮捕されるなどの事態を招いた.上演翌日の新聞各紙では天井桟敷を批判する記事が掲載された.

引用
発表者 寺門信 『ツアー・パフォーマンスの上演における「劇場」と「観客」についての考察』 2019


付記3

本公演では、脚本に登場する固有名詞をはじめとする同時代性は翻案していなかった。
(例:16文キックの命名初出は64年・スタンバーグは69年没)

付記4

影山影子、めっちゃいいキャラ……。
カッコいい女性が好きな方にオススメ!
このメモでは演者について触れられなかったけれど、全員の息が合っていて、それぞれの努力が実を結んだゆえの良い劇だったなあと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?