(アーカイブ掘り起こし)大学開学は人口増加に寄与!?
本記事は2020年8月にリリースした記事ですが、アーカイブ版を掘り起こして再掲します。
その後、日本先端科学大学(仮称)と名前も変わり、開学も2024年となっています。
今後の成り行きを見守りたいと思います。
https://www.nippon-ias-t.ac.jp/
1.日本先端大学とは
少し記事から抜粋させていただく。
工学系の単科大学が2-3年後に開学するというニュースである。
少子高齢化が進む中ではあるものの、学びの場は多種多様となってきており、日本先端大学(まだ仮称であった)は少し一般的な大学とは異なる要素を持った大学のようである。(1・2年は全寮制、3年は海外留学等)
まだHP等は開設されていないようであるが、米国マイクロソフト副社長やアスキー社長等を歴任された西和彦氏が設置準備委員会の委員長を務めるということで、本格的にアカデミックな環境が整えられるのであろう。
少し脇道にそれるが「京都先端科学大学」という大学がある。こちらは現在も日本電産の創業者としてバリバリ活躍されている永守重信氏が自ら理事長を務める肝煎りの大学である。
一緒に論じてはいけないのかもしれないが、一般企業で実績を残されてきた方が、自らの信念に沿った大学を運営するといった流れはあるのかもしれない。
現在のところ、日本先端大学に関する情報は多くない。現在進行形で検討中といったステータスか。
2.関東学院大学の敷地にキャンパス?
今回私が本テーマを取り上げたのは、教育について論じたかったわけではない。
「関東学院大学の敷地にキャンパスを設立ってどういうこと?」と疑問を持ったことが本テーマにつながっている。
委員会資料を引用させていただくと、関東学院大学と小田原市の歴史については、
・1991年(平成3年)
法学部が小田原市荻窪に開校
・2013年(平成25年)
法学部移転について、大学から市に申し入れ
・2017年(平成29年)
法学部が横浜キャンパスに移転
材料・表面工学研究所を小田原キャンパスへ移転及び大学院を新設
といった歴史を辿っている。
大学も都心回帰の流れがあるが、関東学院大学も同様にキャンパス移転・集約を進めたようである。
そうした流れの中で、今回関東学院大学のキャンパス内に大学を新設するという。
これはどういったことなのであろうか。
3.この謎の答えは「昭和63年の協定書」にあった
一般的に考えて、横浜への移転という大学側の戦略を考えると、正直ベースで「一刻も早く撤退したい」と考えるのが普通ではないであろうか。
もちろん地域との関係性や影響力を踏まえて、段階的に撤退を進めていくわけであるが、今回もそうした流れの中にあるのであろうか。
その謎の答えは、昭和63年に小田原市と関東学院大学が締結した協定書にあった。
「関東学院大学小田原キャンパス開設に関する協定書」には、このような記述があった。
また、「関東学院大学小田原キャンパスの校地利用に関する細目協定」には、
まとめると、
・関東学院大学の開学にあたり、小田原市は関東学院大学に約40億円の補助。(正確な金額は確認できなかった)
・今回、小田原キャンパス計画を変更しようとするため、小田原市へ大学側から申し入れを行った。
というのが、現在の流れである。
4.まとめ
時は1991年。バブル崩壊の足音は聞こえていた時期かもしれないが、協定書に記載があったように「1,200人」の学生が小田原市に流入する可能性があるという事実は、当時の行政としては魅力的だったのではなかろうか。
「1,200人」のうち、遠方から入学した学生は周辺地域に住んだと思われるし、最近少し耳にするようになった「関係人口」の増加は、地域経済に寄与したことであろう。
何より学生が増える、というのは街が活性化されるキッカケにもなる。
学生と街のコラボレーション、シナジー効果は計り知れない。
そんな前提を踏まえると、「日本先端大学」にかけられる期待は大きいであろう。
アカデミックな観点からも、グローバルな教育が展開されることが期待されているであろうし、人口を増やす方向性にある小田原市としても「1,120人」の学生を受け入れるということは、期待値は自ずと高まるであろう。
ぜひ、海外からも注目されるような取り組みとなり、小田原市が活性化される契機につなげて欲しいと考える。
文責:株式会社おだわらコンサルティング
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