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【断片小説】Almost Nobody is here! 駆け抜けろ! ワイルドアットハート!

渋谷駅前、スクランブル交差点。人影もまばらなこの街でひっそりと蠢く二つの影がある。信号は点滅し、灰色のアスファルトを赤と緑に交互に照らしている。
二つの影は駅前の広場を駆け抜ける。今日もハチ公は凛とした顔で帰らない主人の帰りを待っている。
「…だけど兄ちゃん、街は自粛ムードで誰もいないってのにこれじゃフェアじゃないよ。僕らの仲間がこれを知ったらなんて言われるか」弟は眉間に皺をよせて兄に問うた。
「あのな、フェアだとかアンフェアだとかそういう問題じゃないんだよ。人がたくさんいないときこそ、俺たち掃きだめの住人は大手を振って街を歩けるんだよ」
「こそこそしてるくせに?」
「うるさい」兄は弟の頭を殴った。「こそこそして生きるのが染みついちまってんだよ。仕方ねぇだろ。俺たちは人に疎まれるように生まれちまったんだからさ」
信号は赤い色に落ち着く。

「まじで渋谷なんて人が多すぎるんだよ。人、ごみ、人、ごみ、ごみ、車、人、ゴミか人かもわかんねぇやつら。このくらいが閑散としてて丁度いい」信号待ちをする兄はお尻を掻きながら言った。
「そういう割にはちゃんと信号守るよね、兄ちゃん。真面目なんだから」弟は出っ歯を剝き出しにして笑った。
「いいか、弟よ。たとえ人類が滅亡したって信号は守るべきだ。なにが飛び出してくるかわからねぇんだからな。社会が作り出したルールを遵守する。その思想だけでも守り続けていくのが、滅亡した人類への弔いってもんだろ」兄は長い人差し指を一本、天に向かって突き出しながら言った。キリストに疑問を投げかける高弟の使徒のように。
「まだ滅亡してないけどね。それに今から盗みを働こうっていう男の口にする言葉じゃないよ」弟は苦笑した。
「いいか。俺が盗みを働くのはな、義人的で英雄的な行為なんだよ。俺たちの田舎の爺さんはもうろくに自分で飯も調達できねぇんだ。だからこそ若くて動ける俺たちが飯を届けてやるのさ」兄は得意げに足を挙げた。
「でもさ、ニュースで言ってたよ。若いやつらが感染源で、ウイルスをばらまいているって。もし僕たちが知らないうちにビョーキに感染してて、それでまた知らないうちにじいちゃんにビョーキ移しちゃったらどうすんのさ。僕たちが殺したも同然じゃないか」

ニュースだって? そう言えばこいつは昔からテレビが好きだったったけ。全く。あんなもん害にしかならねぇっていうのに。聞かねぇんだから。
「お前、また新宿に行ったな? あの街頭ビジョンの女の言うことなんか真に受けやがって。若くて健康的で、活発で快活で元気溢れる俺たちがビョーキ持ちなわけあるかよ」
「そういう浅い考えもまた危険なんだってこの街で一番偉い人が言ってたよ。それに犬や猫にもウイルスは移ってるみたいなんだぜ? 僕らにだって移る可能性が充分にあると思わない? こうやって外に出るってのもリスク高いのに」


そこで兄は考えた。もしも自分がウイルスキャリアで、体力のない爺さんに移してしまったら…考えただけでも身の毛がよだつ。文字通り。弟の言うとおりだ。引いては—少し癪に障るが—街頭ビジョンの女の言うとおりだ。
考えてみれば、渋谷が人とゴミだらけだったからこそ、俺たちみたいなコソコソした者は見つかりにくかったんだ。ちくしょう。これが皮肉ってやつか? わからん。


「じゃあこうしよう、食い物は爺さん家の玄関の前にこっそり置いておく。俺たちは直接爺さんには会わない。これで大丈夫だろ?」
「うん。さすが兄ちゃんだ。あと、手紙も置いておこうよ。元気でいようねって」
「賛成だ。俺は文字が書けねぇから代筆頼むよ。あ~あ、ちゃんとガッコ通うんだった」
「兄ちゃん、どっかの家のオンライン授業を盗み見てしまえばいいじゃない! 勉強はどこででも出来るさ!」
たしかに、と兄は笑った。悲惨な世の中だが笑顔とユーモアは忘れないこと。それが死んだ父の残した言葉であったことも思い出した。そして彼もまた、出っ歯を剥きだして笑顔でいる。出っ歯なのは、遺伝だ。そういうふうに生まれてきたのだ。


こんなウイルス騒動が落ち着いたら、弟と二人でディズニーへ行くんだ。ポップコーンを食い漁り、アトラクションに乗り込んでワイワイ騒いでやるのさ。ねずみ達が夢薄利多売。スターだ。俺たちもあんな存在になりてぇ。あそこはホントに夢の国だ。はやく、ほんとうに落ち着いてくれよ。




信号が青に変わる。
彼らは長い尻尾を振って横断歩道を駆け抜けた。




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