ほぼ毎日エッセイDay1「読書のすゝめ」

電気ポッドのお湯が湧けるのを、シンク台に寄り掛かりながら待った。マグカップにはインスタントコーヒーの粉と砂糖が1:1の割合で積もっている。背伸びしてブラックを飲み続けてきたが、結局のところ甘いコーヒーが私の好むところだ。


頭のスッキリした状態にはならないから、砂糖はいらないのではないかと言う者もいるかもしれない。ブラックこそ脳内を覚醒させる、と。だが文字情報から場面や情景を脳内に映像として再現するにあたって、想像力は必要であり、その源は大体が糖分だ。好みの問題もあろうが、読書に砂糖は必要なのだ。


とは言っても、私のコーヒーの淹れ方はおおかたいい加減だ。味にムラもある。しかしそんなことはどうでもいいと言える。私の好みとあなたの好みは違うからだ。


さて、どのように本を読む? 
ひとつ分からないのは、分からないものが文章の中で出てきたとき、どこまで想像力で賄うか、だ。カーメン・スターンウッドなる登場人物の女性の跳ねっ返りの声色くらい、想像に難くはない。今まで会ってきた女性の中で、軽率なタイプの女性に脳内で演じて貰えばいい。


だが、ヴェルヴェットのローカットドレスは? ダスマク織の壁パネルは? ロッシーニの泥棒かささぎは?
想像力を行間でウロウロさせておくにも限界がある。演出家としての一面を持つひとりの読書家として、物語という舞台に奥行きを持たせ、先へ進めなければならない。だから、インターネットで調べる。ヴェルヴェットとダスマク織と泥棒かささぎについて。

とは言え、人によってはこんなことどうでもいいと言える。私の読みかたとあなたの読みかたは違うからだ。

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