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タイで行われた知られざる名勝負~ワンヘン対福原戦

サワディーカップ

タイ支部のオダサイです。

(rsc products 公式ウェブサイト2022年2月4日掲載)

今回は2017年11月、2019年5月とタイで二度行われた、ワンヘン・ミナヨーティン選手対福原辰弥さんのWBCミニマム級世界タイトルマッチについて取り上げたいと思います。

福原さんは熊本のジムが産んだ初めての世界王者として活躍しました。

WBO世界ミニマム級王座の陥落後に、WBCの同級王座を狙い、タイに2回乗り込んでワンヘン選手の王座に挑戦しました。

ワンヘンはムエタイからボクシングへの転向以来、53連勝を果たした強豪で、福原さんが挑む前までにWBCミニマム級の世界王座を7度防衛していました。

ワンヘンと福原さんの第1戦は2017年11月に、タイの東北地方の玄関口と呼ばれるコラート(ナコンラーチャシマー)で行われました。コラートはバンコクから車で4~5時間掛かる地方都市です。

コラート県スラナリー群のタイ陸軍の駐屯地内の、野外特設リングがその舞台でした。


以前オダサイ便で取り上げたノックアウト対大平戦と同様に、スポンサーである食品大手のCPグループの展示即売会とセットで行われ、コラートの地元住民が買い物がてらに観戦に集まりました。

駐屯地に入る際にも、兵士が小銃を構えて立って検問をしており、物々しく感じますが、地域の人たちには慣れた光景かもしれません。

福原選手にとっては、敵地に乗り込んでの世界王座挑戦となりますが、WBO世界王者になる前にも、タイのサラブリーで世界ランカーのファーラン・サククリンJr選手との試合など、それまでにタイで二試合を経験しています。

日本国内でも、東京への遠征経験もあり、敵地での試合は慣れていたと言えるでしょう。

軍駐屯地の試合会場には、日本からも熊本からの応援団約20名や、報道陣が駆けつけました。バンコクではない、タイの地方の試合については、日本からの応援団も移動が大変です。

試合開始は夕方ですが、まだ明るいうちに試合開始のゴングが鳴りました。ラウンドが進むにつれて廻りが暗くなっていきます。

福原選手もよい攻撃を見せますが、試合巧者のワンヘンはわずかな動きでパンチを交わし、絶妙な距離感で戦い続けます。

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攻めあぐねる福原選手ですが、ペースを落とさず、白熱していく試合ぶりに観客は興奮気味です。福原選手応援団が「ニッポン」コールを始めると、地元観衆は「タイランド」コールで対抗します。

暗い野外の中でポツンと明るいリング、スポットライトに集まる蛾、応援コールの中での攻防戦、見ている観客はラウンド数も分からなくなります。

現代ボクシングではなく、昭和の拳闘という印象で、漫画「あしたのジョー」の矢吹丈対カーロスリベラ戦を彷彿させます。

そんな好試合も最終ゴングが鳴り、審判は三者ともワンヘンの勝利を指示しました。118-110、117-113、116-112、という公式採点でしたが、そこまでの点差はないように思いました。

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この試合は、勝利は掴めませんでしたが、タイで日本人が出場した世界タイトルマッチの中でも、ベストと言える内容の試合ではないでしょうか

タイ人ファンの中でも、「ワンヘンは初めてホンモノと対戦した」「これまでの防衛戦の中で、最も強かった」という評判が聞かれました。

試合前からも「日本から元世界王者の強豪がやってくる」ということで、通常の防衛戦よりもテレビニュースなどで大きく報道されていました。

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この後、福原さんはもう一度タイで世界戦のリングに立ちます。二度目のタイの世界挑戦も、相手はワンヘンでした。

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2019年5月に行われたこの試合については、開催日程の変更が何度もあり、調整が大変だったのではと思います。

会場となったのは、バンコクから車で2時間ほど東に向かった、チェチェンサオ県の県庁前広場の野外特設リングです。第一戦のコラートと比べるとまだ便利な場所と言えます。

しかしながら試合当日、テレビ放送の都合か、試合時間が1時間ほど早まりました。第3試合とされていたのが、急遽、第1試合となったのです。

昼間の試合で、暑さによる影響も心配されます。そんな中でも好スタートを切った福原選手ですが、2回、バッティングで左の目の上をカットします。

出血もあり、ストップも心配されましたが、試合は続行されました。そして8ラウンドに入ると、再びバッティングで、今度はワンヘンが負傷ということで、突如レフェリーが試合を止めました。

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会場にいた私も、観客も、当初、何が起こったのか分かりませんでした。ワンヘンの右眉が少し切れていましたが、出血も少なく、止める傷ではないと思いました。

レフェリーは、この傷を「すぐに広がって、じきに大出血するから」という理由で試合を止めてしまいました。何かすっきりいかない判定です。

調子を上げた福原選手が最終ラウンドまでに、ワンヘンを追い詰めるのでは、との期待も消えました。

すぐに主催者側の顔なじみのタイ人コーディネーターに、「おかしいのではないか」と聞きに行きましたが、「傷の位置が悪い」「レフェリーがそう判断したから仕方がない」とのことで取り合ってもらえません。

試合後「すみませんでした」と応援団に頭を下げる福原選手ですが、力を出し切っていない無念もあったでしょうが、この試合を最後に引退されました。

勝利したワンヘンに控室代わりのテントで話を聞きましたが「福原の印象はない、前回と変わってたところは分からない」との答えでした。喜ぶだけでもなく、淡々と仕事をこなした職人のようでした。

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福原さんに当時の話をお伺いしたところ、まずワンヘンの印象については、「50戦全勝のチャンピオンと言うほどのオーラは感じませんでしたが、試合巧者というか負けないボクシングする選手だなと思いました」とのことでした。

1戦目と2戦目を比べ、「2試合目はもうちょっと長く戦いたかったというのが本音ですが前半は自分のペースにさせてくれなかったのでその辺はやっぱり試合巧者だなと思いました」とのことです。

また「負けたのは自分の実力不足だったから」とのことでしたが、敵地で堂々と渡り合った姿はさすが元世界チャンピオンでした。

ワンヘンとの2試合を含む、タイでの4試合を振り返って「最後の試合(ワンヘン第2戦)だけは少し過酷な状況でしたが、それ以外はアウェー感はありますが、ホテルなども思っていたほど悪くなかったですし、いい試合をすれば観客も認めてくれます」とコメントを頂きました。

今後、日本人選手がまた、このタイの地で好ファイトを見せてくれることを期待します。

また、ワンヘンについてですが、福原さんとの第二戦の後、南アフリカ選手に一度防衛し、2020年11月に同国人のパンヤ・プラダシブリ(ペッマニー・CPフレッシュマート)選手にタイトルを奪われます。

コロナ禍のブランクの後で、昨年11月に復帰し、2勝3敗の戦績の選手を相手にKO勝ちを収めました。

この3月にパンヤ選手とのリマッチに挑む予定ですが、タイトルを奪われた試合前に引退騒動(自身がSNSで勝手に引退を発表し、周りが懇意し、現役続行)があったように、モチベーションは下がっていると思われます。

12回と長く防衛し、無敗での世界チャンピオン連勝記録では、フロイド・メイウェザーJrを超えた選手にも関わらず、タイ国内での知名度も人気ももう一つだった気がします。

リマッチの予想は大きくパンヤ選手に傾いていますが、果たして結果はどうなるか。すでに37歳を迎えた、ワンヘンがタイトルを奪回して意地を見せるかどうか、注目です。

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※rsc products 掲載ページ

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