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下手の横好きのススメ

noteに書く内容には一貫性があった方がフォロワーが付きやすいという定石が知られている。自分のnoteは内容が散漫で、我ながら人物像が掴めない。それはそれで私らしい。

私自身、いろんなことに手を出すのが好きというのもある。写真を撮る、映像を作る、曲を作る、弦楽器を弾く、歌う、競泳、マラソン、読書、文章を書く、工作、酒、工学、デザイン…

「何でも出来ますね」と言われることもあって、自分で言うのもナンだけど何でも出来る。上に挙げたことであれば全人口の5%には入る(競技人口の中でとは言ってない)程度には器用にこなす。ただ、何一つ極めていない。下手の横好きってやつだ。

どのジャンルでも上には上がいることを思い知る。いや、オンラインで繋がれるこのご時世において「自分より凄い人に遭遇しないでいられる人」なんて一握りだけど。会ってやり取りできる間柄に限定しても、私より凄い人はすぐに挙げられる。

同じコースで練習している人がマスターズ水泳の日本新を更新したり。地元の友達がミラノのサローネを獲る世界的デザイナーになったり。友達自慢したところで私の価値は上がらないだろうけれど、本当に自慢の友達なんだから仕方ない。

見方を変えると、私より凄い人に囲まれているのは、実は凄く恵まれているんじゃないかと思えてきた。まず謙虚でいられることは大きい。「凄いですね」と言われて「ありがとうございます」と答えながらも、その賞賛を受けるべきもっと凄い奴が身近にいるんだから、図に乗りようがない。

世の中にはいろんな「道」があることも、ちゃんと実感できている方だと思う。スイマーに作曲で勝負を挑むのはナンセンスだし、水中では地位も立場も関係ない。世の中には一つの尺度で優劣付けられない土俵がいくつもあって、それぞれ尊重すべきものだと知っている。

昨日の話題に関連して、行きつけ出禁客の中に「俺って凄いだろ」と言わんばかりにタブレットで映像作品を見せて自己顕示する空撮パイロットがおられた。私も多少は映像を嗜むので「へぇ凄いねぇ」とは思うけど、お店でアピってお姉さんとお近付きになろうとするのは悪手が過ぎるやろ。

承認欲求の奴隷という意味では五十歩百歩だとしても、少なくとも私は自分の追求する道が他の人にとって大切とは限らないことをわきまえている。その道一筋でも極めるほど首を垂れるものかもしれない。知らんけど。

マウント取られようと、圧倒されようと、下手の横好きは心穏やかでいられるという利点も挙げられる。分散投資の1つがコケても他に支えがあるようなもので、自律ってのは依存先が多くあるってことだ。

曲作ったら動画作りたくなるとか、酒についての文章を書くとか、掛け合わせた合間に新しいものが生まれる予感がする。全てやり尽くされた世界で、自分が一石を投じられるとしたら、掛け合わせかなと思ったりする。

「下手の横好きも捨てたもんじゃない」という旨について思いつくことを書いてみた。何一つ極めていないけど、そんな自分も好きだなと思う。

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