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デジタルネイティブ世代の価値観

デジタルネイティブ世代の価値観と、我々おじさん世代の価値観の間には「ズレ」がある話題の紹介。そんな価値観を前提にすると「若者の政治離れ」が起こるべくして起こるだろうなと感じたエピソード。これに対する私のスタンスについて。

デジタルネイティブ世代の情報接触

2020年6月に出版された「アフターソーシャルメディア」の内容について、出版前2019年10月にあった対面ワークショップで、著者である藤代先生・野々山先生からお話をお聞きする機会があった。内容が面白かったので紹介したい。

大学生に理想の情報メディアをプロトタイピングさせる活動を観察して、今どきの大学生の価値観って実はこうなんじゃないかという洞察を導いた内容。「若者向けのサービスを提供しているんだけど、なぜか響かないんだよなぁ~」と悩んでいる30代以上には有用そう。逆に、デジタルネイティブ世代が読んだらどう感じるのかも興味がある。

情報接触にまつわる価値観に関して、我々30代以上とデジタルネイティブ世代との間に大きな「ズレ」があることを筆者は指摘する。例えば、我々30代以上は珠玉混在な情報が整然とキュレーションされることを有難がって能動的に受け入れる。

物心付いた時から豪雨のような情報量を浴びては、ハズレを引いてきたデジタルネイティブ世代にとって、メディアのキュレーションも豪雨の一滴と大差ない。情報の豪雨を豪雨のままで受け止めて、隙間時間や並列視聴などを駆使して能動的に取捨選択しながら情報摂取し、身近な友達と情報交換することでアタリを引く確率を高めようとする。

分かりやすい対比としては、「最近の若いもんは新聞も読まない」と嘆くおじさん世代と、新聞でさえ妄信せず距離を置くデジタルネイティブ世代。私の耳に届くのは若者DISが多いけれど、優劣の判断抜きにしてどちらにも一理あり、「なるほどこれじゃ平行線だ」と納得する。

マウンティングされずにコミニュケーションしたい

本の主題は上に書いた情報メディアとの付き合い方ながら、周辺のネタとして人との関わり方にも触れられていた。このnote投稿でも、デジタルネイティブ世代はマウンティングを嫌って本心を表に出さない話を本題とする。

例えば、同世代の友達に対してでさえ気軽に「サッカー日本代表の話題共有をしない」話が紹介される。詳しい相手がマウンティングしてきたらメンドクサイため、全体公開で「私は○○が好き」なんて公言しない。探りを入れて相手と気が合いそうだと確信できて初めて限定公開で情報交換する。良し悪しでなく、主張しない方が有利な環境に適応したのだろう。

おじさん世代は「腹を割って話そう」「本当の自分を出せ」なんて言う。大人が気に入る模範解答では百戦錬磨なデジタルネイティブ世代は、あたかも腹を割ったかのようなソツなく応対するような発達を遂げる。SNSで複数アカウントを使い分けるように、複数ある側面どれもがその人の個性だとしたら、そもそも「本当の自分」なんて存在しないのかもしれない。

若者の政治離れの縮図

この話題を思い出したキッカケは、先日、政策に関する「私は誰も批判しない」note投稿に対して、「思ったことを言わないのも不快だ」というご批判を頂いたからである。理想の国民像としてはおっしゃる通りですねと認めた上で、この構図が面白いなと感じた。

おじさんになった私にはそれなりの耐性が備わっている筈なのに、「批判しない」と書いた深層心理には「マウンティングされたくない」気持ちがある。論点の面白さを示したいだけなので、noteでは政策について批判する/される立ち位置から距離を置きたかったのだ。

そんな「批判しない」主張そのものが批判の対象になるのは、哲学的で面白い。おそらく賢いデジタルネイティブ世代であれば、「批判しない」ことすら公言せず批判をかわすだろう。

デジタルネイティブ世代の気持ちを想像するに、「思ったことを言わないのも不快だ」という批判を浴びることも不快となる。つまり、批判内容そのものは正しいのに、批判を予期した時点で発言しなくなり、結果として主張と逆効果をもたらす。若者の政治離れの縮図かもしれない。

おじさん世代が作り上げた情報メディアや教育制度によって、おじさん世代には想像もつかない価値観を持つデジタルネイティブ世代が現れる現象が面白いなと感じてnoteを書いている。

批判せず代案を出したい(再)

ここでも私は誰も批判をしない。おじさん世代とデジタルネイティブ世代のどちらが悪いという議論はしたくない。ただ、日本の未来を諦めた訳ではない。現状を受け入れた上で「若者の投票率が上げるには?」「気軽に政治の話ができる場をつくるには?」をクリエイティブの課題として捉える。批判されたくない人でも発言できるような、「私の考えとは違うけれど貴方の考えも良いよね」と言える場づくりは答えの1つになると考えた。政治よりもサービスデザインのアプローチで次の時代をつくりたいと夢見ている。

「いち国民が代案を出す必要はない」旨の批判も頂いた。私は他の人に強要したい訳ではなく、あくまで私の趣味の話をしている。趣味の水泳に対して、「社会人生活で泳ぐ必要なんて無い」と否定される言われもなければ、泳がない人に「水泳をやらないなんて人生損してるよ」と説き伏せる必要も感じない。中にはそんな人がいてもいいよねくらいのノリで、私は批判よりも代案を出したい。

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