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復帰プログラム 19

朝の会、総練習の準備について話が行われていた。練習用の椅子の足には丁寧にガムテープが巻かれている。教員たちは、床が傷つかないようにと心を砕き、清掃の負担を減らそうとしていたのだ。椅子を使う場面は少ないものの、彼らは練習をできるだけ本番に近づけようとする。目の前にある準備は、すべてが小さな一歩であり、その一歩が本番を成功へと導くための確実な準備となっていた。

一方、社会科の教室では、児童たちが静かに私の話に耳を傾けていた。今日は、世界文化遺産に指定されているものの作り方についての授業だ。導入に使用されたYouTube動画が、すでに子どもたちの心を掴んでいる。その後、資料集を開き、彼らは画面の中で見たものを再確認しながら、ゆっくりと知識を吸収していく。そしてプリントに目を向け、穴埋め形式の問題に取り組む。穴埋め形式での学習は時間を節約するための方法であったが、その背後には「なぜ伝統が残っているのか」という問いが控えていた。この問いかけに、子どもたちの心は一瞬止まる。彼らは歴史に思いを巡らせ、古代の租庸調制度と現代の自分たちを結びつけようと考えを巡らせるのだった。

算数の授業では、一つの挑戦が進行していた。児童たちは、十玉や一玉を使って計算の練習を繰り返していた。目の前にある具体的な道具を使い、計算の感覚をつかもうとしている。彼らは式を立てながら、「これが前の授業と違うところか」と一人一人が感じ始めていた。しかし、十玉や一玉を常に使うのは非効率だ。教師は、そろそろ筆算を導入する時期が来たと感じつつも、商立てのプロセスで生じた誤解をどう解消するかに頭を悩ませていた。「次回の授業では、×を付ける代わりに✓を入れてみようか」と思案する教師。その微調整が、子どもたちの理解を一段と深めるための鍵となるかもしれない。

特別支援の教室では、漢字ドリルが静かに進められていた。机に向かい、集中して漢字を書く児童たち。彼らは少しでもきれいな字を書こうと、鉛筆を握る手に力を込めていた。だが、形が崩れがちな児童もいた。それでも、私が寄り添い、一緒に漢字を読み、正しい形に直していく。やがて、児童たちは少しずつ自信を取り戻し、漢字を形にしていくことに喜びを見出すようになる。彼らの小さな勝利が、教室全体に静かに広がっていった。

理科の授業では、星と月の動きをデジタル教科書で観察する時間がやってきた。星々が夜空を巡り、月がゆっくりと移動する様子を、児童たちは何度も何度も見つめた。そして、観察の合間に彼らの口から様々な意見が飛び出す。「あれ、こっちが動いてるんじゃない?」と誰かがつぶやき、別の子がそれに答える。デジタル教科書は、視覚的な学習を促進し、児童たちの理解を加速させていった。

3年生の書写の時間。準備に手間取る児童たちの姿を見て、私は一人一人に声をかけ、手際よく進めるよう指導した。動画で筆の持ち方や書き方を確認し、準備が整うと、児童たちはようやく筆を握り始める。筆を立て、正確な場所に置くその手元には、繊細な指導が必要であった。書写の技術は、少しずつ彼らの中で形を成していく。そして、片付けの際も同じように、一人一人が正しい手順で道具を整理し始めた。

3・4年生の合同体育では、児童たちが一斉に走り出す姿があった。コーナートップでの走りに戸惑いながらも、彼らは教師の指示を真剣に聞き、走りに集中していた。しかし、5年生がセパレートで走る一方、3・4年生のグループが混乱しないようにするためには、指導に工夫が必要だと教師は感じていた。次回は、より統一感のある指導を試みるつもりであった。

最後に、運動会の準備が始まる。テントが立てられ、ラインが引かれていくが、準備の指示は少し遅れがちだ。体育主任や教頭、教務が指揮を取り、効率的な動きを促す必要があった。運動会当日に向け、学校全体が一つの大きなチームとして動く準備が、少しずつ進んでいく。

この日々の積み重ねが、子どもたちにとって、そして教員たちにとって、何よりも重要な成長の場となる。運動会に向けた総練習は、ただのリハーサルではない。それは、目の前にある未来へと向かうための、小さな一歩一歩であった。

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