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50代からのグレーゾーン(第16回)

幼稚園の時もそうだったが、私には友達ができなかった。できたと思っても続かない。
私が友達になりたいと思うのは、先生が依怙贔屓している可愛い優等生だった。月とスッポンのような組み合わせだが、私に無いものを全て持っている子への憧れと友情を、完全に混同してしまっていた。
最初はそれでも、優等生ならではの器の広さで、近づく私を受け入れてくれた。
しかし、彼女への依存と独占欲と執着に恐れをなしたのだろう。私から、上手に離れていった。
元々、今で言うところの「一軍」に所属していた彼女は、皆から慕われていた。
私には、高嶺の花だったのだ。

私は、次に転校生を友達にしようとした。
彼女も優等生であり、前回と全く同じように徐々に私の誘いを断るようになった。
私学だと、家が離れているので、日曜日に電車に乗って、互いの家にお邪魔することがあったが、ある時から断られ続けた私は、理由を問いつめてしまった。
親戚かなにかの不幸だとか、そういうふうに断られたと思うが、そんなの嘘だと私なりに感じたのだと思う。
空気を読み、引き下がれないような私は、嫌われて当然であった。

また、学校とは残酷なところで、授業や遠足の際、好きな子とグループを組む機会がやたらと多かった。
私はいつもどこにも入れてもらえず、仕方なく人数の足りていないところで世話になっていた。
受け入れるグループのメンバーは、いい顔をしなかったが、理由がわからなかった。

自分を客観視できない私、人の気持ちが理解できない私・・・私は、集団の中で悪い意味で浮いていたのだろう。

そして悲しい出来事があると、当然母に訴えた。
母は決まって「細かいこと気にするな」「あなたの被害妄想だ」「甘えるな」などと指摘した。
それに納得出来ず、尚訴えると、「あなたが可愛いから、みんなヤキモチ妬いて意地悪してくるのでしょう」と言い逃れた。
そんなわけが無いのに、私は母の言葉を信じた。

私の特性に母は何ら疑問を持たず、日々兄と闘っていた。母を崇拝する気持ちは変わらず、私は母の言うこと(いいことも悪いことも)を心に刻み、成長した。

そしてついに、高学年になりクラスも担任も変わった。
無自覚で友達を作れない私は、やはりイケてる子と友達になりたがった。
いっそ、自覚して自分の殻にこもっていれば、目立つこともなく誰からも虐められなかったのに、身の程知らずの私は、一軍に憧れていた。

当時、アイドルが大好きで、自分もアイドルになれるという妄想もあった。
幼い頃、アニメのヒロインになりきっていた自分と何一つ変わらず、成長していなかった。
映画のヒロインになりきり学校に行った。
お泊まり会で、アイドルの歌を振り付きで歌った。何をやっても、一軍にはちっとも相手にしてもらえなかった。

そのうち私にも好きな男の子が出来た・・・

次回に続く・・・

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