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50代からのグレーゾーン(第18回)

小学生の6年間は、様々な辱めを受けながらも無事終わったかのようだったが、やはり、思うようにいかない自分自身や生活に、私は無意識に辛さを感じていたのかもしれない。

低学年の早い時期から、私は地面に顔が並行になるくらい下を向いて歩く癖があった。
電車の駅から家までの道のりの記憶は、道路や側溝の蓋の映像しか出てこない。
ある時、近所の人にその姿を見られたらしく、母から「この世の終わりみたいな歩き方だったって言われたよ。顔を上げて歩きなさい」と注意された。
また、希死念慮が常につきまとい「死にたい」と思うことが当たり前になっていた。
死に方も分からない、実際死ぬのは怖い。
でも消えてしまいたい。
今の私と何ら変わらない感情を、低学年の頃から抱きながら育ったようだ。

恐らく、学校に行けば気を張らなければいけない。家に帰れば怒声と罵声が普通な日常に、無意識に居場所を無くしていたのかもしれない。

高学年での女子との絡みと言えば、またもや転校生に絡み、しかし転校生がとても可愛いと周りがもてはやすと落ち込んでいた。隣にいる私は、引き立て役だった。
また、別の女の子と同じ方角であったため、一緒に帰ることが多くなった。
すると彼女は、私に彼女の最寄りのバス停で降りることを強要し、私はそこから歩いて帰っていた。他にも彼女からの強要は強くあったが、彼女は学校では優等生。作文を評価され、全校生徒の前で読むなど、私に対してしていることは、微塵も感じさせない風であった。

希死念慮とともに、ため息が増えた。
ため息を聞くと、母は嫌な顔をして「幸せが逃げるからやめなさい」と言った。
また、私の悩みなど、「外国の厳しい環境で育っている子どもたちに比べれば、なんてことは無い」と言うのだが、畑が違えばストレスの質も変わるということを知らなかった私は、母の言葉を信じた。
母の比喩話は、いつも極端だった。

アリス症候群と言われる症状や、金縛りにも度々遭った。
アリス症候群は、今回のことがあって調べていく過程でわかったことで、金縛りと共に、発達障害がある人に起こりやすいとか。
私の場合、見ているものが急に遠く小さく見え遠近感が狂ったり、自分が止まっていて周りが猛スピードで動く感覚に陥り戸惑ったり、そういう症状が頻回に起こった。
夜は金縛りの連続で、恐ろしかった。
こちらにも、頼みの母は無関心であり、聞き流されてしまった。母には想像できないことが私に起こっていて、良いアイデアが思いつかなかったのだろうか。

私が大人になってから、昔クリニックの先生から「この子は自律神経が弱いね」と言われたと、母から明かされたことがあった。
そんなことを言うと、私が気にしたり甘えるので、隠していたそうである。
その時に、然るべき病院を受診していれば…
悔やむのは、筋違いなのであろうか?

ある日、ランドセルを持とうとした瞬間、首が90°曲がるくらい筋を違えた。
普通、学校を休ませる角度である。
何しろ、痛くて90°から戻せないのだから。
母は、私を休ませてはくれなかった。
首を傾げたまま電車で学校に行き、帰宅するまで首は治らなかった。ただ恥ずかしく痛い思いをしただけだった。
厳しさとは違う何か。大好きな母なのに、畏れる私がいた。

私はいつも、不治の病を題材にしたドラマに憧れた。不謹慎な事だが、死が迎えに来ることが、羨ましかった。
手首を斬る自分を何度も想像した。
やはり、私は「何か」が辛かったのかもしれない。でも、その「何か」の正体が分からない。

それからは、徐々に「普通になりたい」という漠然とした願望が芽吹き、母の言いつけを守れば普通になれると信じて、耐える生活を自分に課すようになった。

次回に続く・・・

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