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50代からのグレーゾーン(第7回)

自身が発達障害のグレーゾーンや精神疾患であるということをすんなり受け入れることができるのには、根拠があった。
先ず、生まれ育った環境や家族の様子は、普通と考えられる・・・例えば磯野家のような家庭からはかけ離れていた。

父親は子供に全く無関心で、自身の仕事の功績を幼い子供に自慢する時のみ、声をかけるような人であった。言ってしまえば、相手の感情など想像できない、自己愛の強い人。
母の後日談によると、外に愛人がおり、母は幼い私の手を引いてその愛人宅を見に行ったこともあるという。
家庭にはほとんど参加せず、形だけの家族サービスの折には、娘が乗車途中であるのに車を発進させたり、子供と歩いているつもりが、一人で先に歩を進め、子供を振り返り安全を確認することの無い人であった。
虐待はなかったが、無関心であった。
後述する、兄の家庭内暴力にも、母が1人で闘っていた。
公共の駐車場で、開けたドアが隣の車にぶつかっても、全く気にしない。
飲食店に行けば不当なクレームを言う。
そんな人間であった。
母は専業主婦であったため、自立する勇気もなく、諦めているふうであった。

日曜日も含め、いつも殆ど不在の父がたまたま食卓を囲んでいた際、兄の母に対する暴言に耐えかねて、バトミントンのラケットで殴ったことがあった。そこからは取っ組み合いの喧嘩となったが、結末は覚えていない。
幼いながらに、父が兄の愛情で殴ったのでは無いことは感じ取れた。
ただ、煩い兄に我慢ができなくなった父が、殴りかかったという印象は、今も変わらない。

幼い頃の父の記憶はほとんどなく、印象と言えばその程度のものであった。

その血を受け継いだ子供が、私である。

次回に続く・・・

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