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50代からのグレーゾーン(第15回)

私学の小学校に通うことは、大人が思うよりも過酷であった。少なくとも、私には・・・
大人にしてみれば、小さな子がランドセルを背負い、友達と大きな声で話をしたり、ホームや電車内を無駄に移動したり走ったり、悪いイメージを持っている人も少なくないと思うが、心細い気持ちで通う子どももいる事を、頭の片隅に置いて見守っていただきたい。

1年生になったばかりの頃は、同じ方向の上級生と一緒に登校する規則になっている。確か1年間だった気もするが、期間は記憶にない。
私の引率者は、丁度6年生だった兄であった。
兄は、いつもギリギリに登校しており、私に駅まで全力で走るよう命じた。
歩くと10分くらいかかるような道を3分で走る。
運動神経の悪い私には到底無理な話であった。
兄は、私を残して平気で先に走って行った。
3日目には、私は1人で学校に行かざるを得なくなった。
母が1人で登校する私に何を言い、兄にそのことについて注意をしたのかどうか、何も知らない。
怒られながら無茶なタイムで走らされるより、ゆったり登校したかった。

しかし、世間は甘くはなかった。
ラッシュアワーの電車の中で、サラリーマンがランドセルを肘置きにするなど当たり前であった。
ある時には、真面目そうな男子高校生が、私のパンツに手を入れてきた。私は全力でその手を押さえ、小さな声で「やめてください」と言った。すると、手はパンツから抜け出て、高校生は何も無かったかのような顔をしていた。
またある時は、ホームの端を歩く私の両肩を突然掴み、線路に落とそうとする男子高校生に遭遇した。驚き恐怖の表情を浮かべる私をからかい笑う、複数名のやんちゃそうな男子高校生に、恥ずかしさと恐怖でいたたまれなくなった。

学校に行くには、途中で電車を乗り換えなくてはいけなかったが、人混みの中、小さい私には行き先表示が見えなかった。
1度、発車のベルに焦り、同じホームから出る、行き先の違う電車に乗ってしまった。
明らかにいつもと違う景色に戸惑い、次の駅で降りたものの、どうして良いのか分からない。
自分から声をかけたのか、泣いていた私に声をかけてくれたのか、親切な女性が私を経由地点まで送り届けてくれたことがあった。
人に親切にされたのは、その1度きりだったように思う。

あとは、人酔いしてホームで度々吐いてしまったり、提出するお金を落として、母から叱られたり。
登校時の良い思い出などひとつもなかった。

下校は方向を同じくする生徒同士でするのだが、ある時悲劇が起きた。
いつも廊下に立たされている女の子と私とで、男の子が電車に乗るのを阻止しようとして両側から腕を掴んだことがあった。もっと一緒に遊びたかったのだが、傍目にはいじめに映っていただろうか。
男の子は、帰りたくて電車に乗ろうと力いっぱい前進した。そのため、私たちは掴んでいた手を離した。反動で男の子が転ぶことは想定外であった。転んだ男の子は、ホームの床に前歯をぶつけ、永久歯が欠けてしまった。
青くなった私達は、歯の欠片を泣いている男の子に持たせて帰路に着いた。
その後、母が大変な思いをしたことは間違いないのだが、叱られた記憶は無い。
私ももう1人の女の子も、加減というものが分かっていなかった。

次回に続く・・・

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