見出し画像

50代からのグレーゾーン(第8回)

兄とは少し年が離れているため、私の記憶の中の兄は既に普通ではなかった。
母が何か注意すると耳を塞ぎ大声を出し続ける。
母が口を閉じるまで、「あーーーーーーーー」と言い続けるのだ。
そして、私と目が合うと、「見るな」と怒鳴られ、私が泣くと叩かれた。
顔色を見ることが苦手な私は、自分のを守るすべも無く、ただ怯える毎日であった。
兄が高学年になる頃には、更に暴力や暴言が酷くなり、毎晩母を罵っていた。自分の意見に同意しなければ罵り、同意すれば「本当はそう思っていないだろう?」とまた、振り出しに戻った。
母が、為す術なく黙ると「卑怯者」とまくし立て、時に皿が飛んでいた。
母が殺されるのではないかと気が気ではなく、私は母のそばにいつもいて一部始終を見て育った。

私が大人になり、母から「見られているのが嫌だった」と言われた時はショックであったが、今にして思えば、母の気持ちもわからなくはない。

兄が眠りにつくまで、母に連れられ家出をしたこともあった。
今はすっかり丸くなった兄は、いい年になるまで取り扱いが大変であったことを、今やすっかり忘れて、優しい兄を演じている。

それを恨みに思う私では無いが、明らかに普通ではなかった兄と同じ血が流れている。

昔は、発達障害などという言葉もなく、自閉症という障害を知っていたとしても、自分の子がそうであると進んで調べる人は少なかった。
明らかな知的障害がない限り、変わっている子は普通の子になるよう、厳しく育てられた時代であった。

次回に続く・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?