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50代からのグレーゾーン(第11回)

幼少期の私は、いつもクマのぬいぐるみをおぶっていた。そして、ぬいぐるみの身長を測ったり、メンソレータムを塗ったりして世話していた。
また、アニメの主人公になりきり、その名で呼ばれなければ返事をしないなど、自身以外の何かになりきることが多かった。
時には猫になりきり、一日中、四つ這いで「にゃ〜」としか言わないことも、常習的にあった。

特に近所に友達もおらず、斜向かいの頭の良いお姉ちゃんが小学校に上がるまでは、時々遊んでくれた。それ以外は、家の裏の小高い山で、一人で遊んでいることが多かった。

友達がいないというのは、語弊があるかもしれない。一緒に遊んだ子は何人か思い浮かぶ。そして、その誰もが私を虐めるような行為をして疎遠になった。母も、私が親しくなる子どもにいい顔をしなかったので、恐らく当時の私は、虐めたい子にとっていいカモだったのだろう。それとも、人は私を見ると虐めたくなるのかもしれない。

よしこちゃん(仮名)は、2人でかくれんぼしていて自分がオニになると、私が隠れている隙に家に帰ってしまった。
かなちゃん(仮名)は、子供用プールに私を誘い、私の頭を押さえつけて水に沈めた。彼女のお兄ちゃんが発見してくれなかったら、私はもしかすると絶命していたかもしれない。
そして、一番恐ろしく焼き付いている記憶は、ひろみちゃん(仮名)とのりこちゃん(仮名)という姉妹である。
ある日、お姉ちゃんのひろみちゃんは、私の頭上から噛んでいる途中のガムを落とした。ガムは髪の毛に絡みつき、取れなかった。妹ののりこちゃんが「家に行こう」と私の手を引いた。
彼女たちの家に行くと、目がギョロリと大きく痩せた母親が、ひろみちゃんの四肢をロープで縛り上げた。そして、私に「取れないから切るね」とガムの付いた部分の髪を根元から切り、それを縛られた娘の顔に押し付けて「これはお前がやったんだ」と折檻した。
その後、どうやって家に帰ったのか、母に話したのか覚えていない。
虐待の現場を見せることも、間接的な虐待だと思う。少なくとも、私のトラウマになった。

私には、良い友達ができず、せっかく友達になっても良い関係が続くことはなかった。
私には、そういう子を引き寄せる何かがあった。
逆に、利口で優しい友達は、私には目もくれなかったのだろう。

彼女らは、大人になってから「虐められる私の方にも問題があったのではないか」と考えるようになる原点であった。

小学校に上がっても、私が先生やクラスメイトからの標的になることや、素敵な女の子が上手く私から離れていくことは、幼少期と変わらなかった。

次回に続く・・・

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