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50代からのグレーゾーン(第21回)

大学に通い始めた私は、中途半端な真面目さ故、授業中、寝てようが遊んでいようが、サボるということはなかった。
しかも、役者になるための活動はどこへやら、サークルに所属してしまった。
どっぷり大学生活に浸かってしまったのである。

サークルの勧誘にあっさり乗っかり、美人なクラスメイトと一緒に、とあるサークルに入った。
美人なクラスメイトとは、同じ出身地の同じ高校に通っていたということが判り急接近したのだが、彼女はかなりの美人サイコパスであり、何でも真に受ける私はうまくかわせず、後に何となく疎遠になってしまった。
サークルの趣旨が女性ウケするものではなかったため、女子が少ないことが幸いし、私の苦手な女同士の付き合いはほとんどなく過ごせた。
クラスに友達を作れず、大学時代はほぼサークルの人と過ごしていた。

高校までの、強制的な団体行動がない大学生活は、私には天国であった。不便と言えば、学科にノートを貸してくれる友人がいないことくらいだった。

私は、ファストフード店でアルバイトを始めた。
高校時代は派遣の単発アルバイトをしていたのだが、決まった場所で決まった仲間と働くのは初めてだった。
大きすぎる声、作業の遅さなど、今思い出しても赤面するような拙さで、店長は私を使えないと考えていたのかも知れない。
その根拠が、私が同店舗の男の子からストーカーされた後の対処にあった。

男の子は、魚のような目をし、着衣はいつも同じ。休憩室でアイドルのビデオばかり見ている、当時で言うオタクであった。
しかも、同じ大学の先輩であるらしく、話しかけられれば返すくらいの関係ではあった。

店長が彼のオタクぶりを見兼ねて「現実の女の子に目を向けなさい」とアドバイスしたのが仇となり、晴れて私が第1の標的になってしまった。

夜中2時に回るノブ。覗き窓の向こうには、オタクの姿があった。大家さんが注意しても帰らず、真夜中にサークルの先輩に来てもらうという、大騒ぎになった。
その後も、朝6時に電話をかけてきて、学校に一緒に行こうと誘われたり、駅で待ち伏せされた。
私の個人情報をなぜ知っていたのかと思うと、当時のバイト先のセキュリティの甘さにゾッとする。
時には「逃げないで」と人前で腕を捕まれた。

決着は突然訪れた。私がマニキュアをつけているのを見て、彼自ら「マニキュアをつける女は嫌いだ」と呟き私への執着から目覚めたようだった。

事の顛末を店長に話した。
てっきり、犯罪者まがいの彼がクビになると思っていた私に、店長は驚くような言葉を発した。
「彼も家にお金が無くて大変なんだよ。アイドルやめて、周りの女の子に目を向けろって言ったのは僕だし、あなたが働き続けられないようなら、辞めていいよ」・・・
私はその店を辞めた。

小学校1年生でパンツに手を入れられてから、私は何度となく痴漢に遭っていた。
痴漢にストーカー。私は磁石のように変態を近づけてしまうようであった。
社交辞令ができず、空気を読めず、なんでも真に受けるところが、母の言うところの「隙」なのだろう。

母にストーカーの話をしてしまった。
特に大きな被害もなかったので、何気なく話したのだが、普段出不精の母が、飛んで上京してきた。後日、姉からは「母に心配をかけないように」と、お叱りの手紙がきた。
姉は、時折、私の空気の読めなさに腹を立てているようであった。

大学生にもいろいろいる。
大人びていて賢くて、将来について堅実に考えている子。将来までは分からないが、当たり前のように隙を見せない賢明な子。
私は、ひたすら人に迷惑をかけ、人から必要とされない子であった。
もちろん当時は無自覚だったが。

次回に続く・・・

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