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50代からのグレーゾーン(第19回)

かなり幼い頃から、私は大人が怖かった。
すごく偉くて大きな存在であり、自分が将来大人になり、大人たちの中で大人として生きていくことが恐ろしくてたまらなかった。
お金も怖かった。
自分の想像のつかない大金を稼ぎ、絶やすことないよう社会人の一員として働く自信がなかった。

大人になれば、それなりに生きる能力が身につくと思っていたが、やはり私には何か欠けているのか、上手に大人になれなかったように思う。

大人になるということは、全てを体験して初めて、ものが言えるのだと信じて疑わなかった。
そして、その体験をふるいにかけて、人生を選択するものだと…
物理的に考えればそんなことは不可能なのだが、ありとあらゆることを体験したから、大人は政治から宇宙まで、はたまた下世話な話まで、話題が尽きないのだと思い込んでいた。
なので、尚更、自分には到底大人になることが困難に感じていた。

そして、中学の頃から少しずつ、大人になるためには、強い何者かにならなければいけないと、勘違いの道を進むことになるのであった。
今にして思えば、この頃からの私は、結局何も出来ない、承認欲求や自己顕示欲の塊であった。

中学へは、小学校からの内部進学をしたため、知った顔が多かった。それでも、外部入学してくる生徒が、内部進学の生徒の倍以上いた。
そして、何よりの変化は、小学校が共学であるのに対し、中学からは女子と男子が分けられ、男子3割女子7割の比率で、圧倒的に女の世界になったことであった。

女子だけになると、先生へのイタズラや、足を広げて下敷きでスカートの中を仰ぐなど、女子校によくある光景を度々見かけた。
下ネタや性体験談で盛り上がる女子のグループがあり、逆に、我関せず、好きな本を1人で読み耽っている生徒もいた。それでも、彼女にはちゃんと、お昼ご飯を一緒に食べる友達がいた。

私は、特に仲のいい友達のないまま、何となく仲間に入れてもらってお昼を過ごすことはできていたように記憶している。
その友達は、しかし定着せず、なかなか真の友情は芽生えなかった。

部活は、テニス部だった。中学なので軟式だが、当時流行ったスポ根漫画に憧れて、運動神経もないのに迷わず入部した。
早速事件は起きた。
入部して間もない頃、居残ってボール拾いをしている私ともう1人の1年生に向けて、先輩が「朝練に来ていいよ」と言った。
私たちは喜んで朝練に参加した。
すると、同じクラスのテニス部の女子から無視された。理由は「抜けがけした」から。
私は、腑に落ちないものを感じながらも謝り、そこで主従関係のようなものができた。
一緒に朝練に参加した1年生は、違うクラスであった。
彼女は「私は悪いことをしていない」と、強気であった。そして、部活内で友人もでき、私も何となくそこに入れてもらっていた。
しかし、何をしても笑われる。粗を突っ込まれる。時には、存在しないかのように無視される。
他の子と比べられる…もちろん劣るのは私。
結局、小学生から何も変わっていなかった。
試合には勝てない。面白いことも言えない。何の魅力も無い私は、存在感もなかった。

成績は地に落ちた。ワースト数名は、順位さえ出してもらえなかった。
母は「やれば出来るのに」と私に言った。
でも、勉強の仕方もわからず、する意味もわからず、興味も、「やらなきゃいけない」という義務感もないまま、高校に進んだ。
内部進学がなかったら、私は果たしてどんな高校に行っていたのだろう。高校に行けていただろうか…そう考えると、ありがたい環境ではあった。

次回に続く・・・

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