見出し画像

50代からのグレーゾーン(第17回)

私が好きになった男の子は、一軍の中でもクールでかっこよく、サッカーが上手で熱くなる性格だった。周りには同じようにかっこいい子と、そして取り巻きのような面白い男子が数名いた。
私には手の届かない彼と仲間たちは、しかし私をからかうことで私と絡んでいた。
からかわれ、後にいじめだったんだと気づいたのは、大人というよりもっといい年になってからだった。
私は、彼らのからかいやいじめを、遊びだと思って執拗にやり返してはやり返される日常を送っていた。女子たちとはほとんど絡まず、絡んでくる男子を追いかけては仕返しをするだけの毎日。

もしかすると、私がしつこいから相手をせざるを得なかったのかもしれない。なぜなら、徐々に彼らのからかいは、エスカレートしていったからだ。それでも自分がいじめられていると認めなかったのは、好きな男の子と絡めるから。
好きな男の子を先生に突き出すことなどできなかったから。

彼らがつけた私のあだ名は「ブス」だった。
一軍に辛うじて存在しているようなおどけた男子にまで「ブス」と呼ばれるのは気分が良くなかったが、そう呼ばれる毎に、好きな子を追いかけていた。
多分、母が「あなたが可愛いから、からかいたくなるのよ」とありもしない可能性を示唆し、それを信じてしまったのだろう。
「ブス」と呼ばれてもまだ笑っていた。

ある時、私の鼻から1本の毛が出ていたらしい。
その日から私のあだ名は「ハナゲ」に変わった。
それはさすがに気分のいいものではなく、傷ついたが、例の母の理屈を信じて過ごした。

ある時、写生の授業があった。
校庭の外れに三角に座り、膝に画板を乗せて絵を書いている私の後頭部に、突然何かに押さえられているような重みを感じた。次の瞬間、画板が顔面に当たり、大量の鼻血が出た。
一軍の中でもモテモテの男の子が、土足で私の頭を押さえつけ、私が好きな彼が、サッカーで鍛えた足で画板を思いっきり蹴りあげたのだった。
多量の血を流しながらも、私は先生に言わなかった。彼が好きだから。

学校を上げて、朝は必ずサッカーに参加しなければいけない決まりであったが、私の好きな彼は、私のみぞおちを狙ってボールを投げつけたりもした。

不幸にも、いじめに気づかない私は、卒業までそんな日常を繰り返していた。
一軍女子からも、突然頭を殴られることがあった。でも、一軍に憧れていた私は、絡んでくれるだけで嬉しかった。
ドMである。

そして、憧れの女子もできた。
スポーツ万能でボーイッシュな彼女への憧れは、まるで恋のようだった。
それが一軍に知られたものだから、ボーイッシュな彼女のブルマを頭から被せられるなどのからかいにも遭った。

普通なら、プライドが傷つき、登校拒否を起こしそうな事態を受け入れて、高学年を過ごした。
学校に通えたのは、担任が暴力や暴言をしない人だったからかもしれない。

病気や障害を意識するようになってから、あれがいじめだったんだと悟ったが、それまでもフラッシュバックは何度も訪れていた。その度に、忘れようとした。
私は「フラッシュバック」というのは、事件や事故など、ニュースやドラマになるようなトラウマを負った人のみが体験するものだと信じていた。しかし、鮮明に過去の辱めを思い出しては首を振ることもフラッシュバックなのだそうだ。
病気や障害を自覚してから、自身にもフラッシュバックが起こっていたのだと知った。

・・・次回に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?