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繊細社畜女子の映画鑑賞記録「甘い生活」

5作目。
 フェリーニ監督3作目は「甘い生活」。オスカーの衣装デザイン賞を取ったのも納得で、ドレスの裾の流れや質感がモノクロでもとても美しい作品だった。

ゴシップ紙の記者の目を通し、1950年代後半の退廃したローマ上流社会を絢爛に描いた作品。作家を夢見てローマにやって来た青年マルチェロは、現在はゴシップ紙の記者として享楽的な日々を送っていた。彼はナイトクラブで出会った大富豪の娘と一夜を過ごし、取材したハリウッド女優と狂宴を繰り広げる。そんなある日、友人家族を訪ねたマルチェロは安らぎに満ちた彼らの生活を羨むが……

映画.comより

 初めて観た「道」が貧困層のどうしようもなくも唯一の愛を求めて生きている人間を描いた作品なら、今回の作品は真逆で。富裕層がどんなにSEXをしてもお酒に飲まれてもお金を使っても満たされず虚無とともに生きている作品だった。
 「道」が1954年の作品で、この「甘い生活」は1960年の作品なので、これだけの近い期間で真逆だけれども本質は同じ人間を描くフェリーニ監督の手腕が凄い。
 「道」は良いセリフが沢山あって共感という心の動かされ方をしたけれど、「甘い生活」はドン引きするシーンやセリフが多々散りばめられていて、心の裕福さはお金じゃ決まらない(あるに越したことはないけれど)と否応なしに実感させられる。

 特にドン引きしたセリフは、マルチェロが家庭を手に入れた友人のスタイナーの家で、旅をして世界を見てきたという男性に対して発した

「あなたが羨ましい。世界各地で特派員を。私も旅がしたい。旅をして様々な女性と出会って、赤や黄色の子供を作れば、花束みたいで素敵だ。」

というセリフ。

 おぉう……多分これ詩的に解釈されることが多いと思うし深く考えるのは野暮って言われるかもしれないんだけど、女が自動的に子供を産んで育ててくれて金だけ出して自分はそれを花束みたいに愛でるみたいに瞬時に思ってしまって、ダメだろ……って思ってしまった。

 あと、興味深かったのは「私は娼婦よ」みたなことをマッダレーナが言ってたこと。お金だけ持っていて何をしても満たされないから手当たり次第、男とSEXをしてるんだと私は解釈したけれど、別に男からお金をもらっているわけがないので「娼婦」と自称することに当時の男女の差別を感じた。
 それだったら同じようなマルチェロは男妾だと自覚しなきゃならないけれど、そうじゃないもんだから男が女を抱いてやるもんだみたいな感覚がひしひしと伝わってくる。
 
 そういえば、またひとつ知識が増えたのは、マルチェロと親しいカメラマンのパパラッツォ。パパラッチから取った名前なのかなと一瞬思ったのち、いや逆じゃない???と気づいた。

フェデリコ・フェリーニが監督した映画『甘い生活』(1960年)に登場する報道カメラマンで、ウォルター・サンテッソが演じたパパラッツォ(Paparazzo)が由来。paparazzoを一般名詞として複数形にしたのがpaparazziである。ロバート・ヘンドリクソンは著書『Word and Phrase Origins』の中でフェリーニは、特に腹立たしい雑音として「やぶ蚊」を意味するイタリアの方言から取ったと記述している。

フェリーニは学生時代に早口で話すために「パパラッチ(蚊)」とあだ名を付けられていた男子を覚えていた。一方、脚本家のエンニオ・フライアーノはフェリーニとのインタビューで、イギリスの小説家ジョージ・ギッシングの1901年の作品『イオニア海のほとり』に登場するホテル経営者パパラッツォからとったと語っている。フェリーニとフライアーノのどちらかが、無作為に本を開き、たまたま目に付いたその名前を映画の中の写真家の名前として使うことを決めたという。

Wikipedia

 あと、「甘い生活」の裏にあった実際の事件に関しての記事があったので、メモしておく。
https://therakejapan.com/issue_contents/an-affair-to-forget/

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