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#0182 人生100年時代における「はたらく哲学」

こんにちは。釧路人おだわらです。

私たちは今、「人生100年時代」と言われる時代を生きています。

嘗ては一つの会社で定年まで長く働き、リタイヤ後は退職金と年金でゆっくり老後を過ごすなんて人生設計がテンプレートになっていました。

しかし、人生100年時代と言われる今、そんなテンプレートを想定した人生設計は寧ろ大きなリスクとなり得ます。

人の寿命よりも企業の寿命が短くなっているということだけでなく、昭和の高度経済成長やバブル経済をはじめとする、人口増加・経済成長の拡大社会において合理的とされてきた年功序列・終身雇用が破綻していることは明らかにも関わらず(リンク記事参照)、多くの企業がその制度を継続しています(私の会社も同様)。

これによって、年功序列・終身雇用の旨味をなんとしてでも得ようとする「ぶら下がり社員」を大量に生産し、日本の労働生産性の低下、労働市場の固定化を招いているのではないかと思います。

そんな組織に身を置いていては、朱に交われば…という言葉もあるように、ジブンまでも染まってしまう。或いは、やりたいことを阻害されたり、やりがいを搾取されたり、仕事に対しての情熱を失ってしまうといったことが、ぶら下がり社員がマジョリティの組織において考えられます。

そこで大事になってくるのが、単に生活費を稼ぐための「ライスワーク」に留まるのではなく、自分自身の人生を豊かにするための「ライフワーク」を見つけられるか、そしてすぐに転職や起業が出来る人はすぐに脱出をしていけば良いのですが、諸事情でそうしたアクションがすぐに取ることが出来ない場合は特にジブンの「はたらく哲学」を確りと持つことが重要になってくるのではないかと思い、筆を執らせていただきます。


本田宗一郎氏の「哲学」

本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏の言葉に、次のようなものがあります。

「理念なき行動は凶器であり、行動なき理念は無価値である」

この言葉は、企業経営の場面で語られることが多いものですが、私たち一人ひとりの働き方や人生にも通じる深い言葉であると思います。

実際、本田技研工業が倒産の危機に直面した際、旧三菱銀行の京橋支店が融資を決断した有名な逸話があります。

京橋支店の支店長や担当者は、本田宗一郎氏や藤澤武夫氏との信頼関係を築き、工場見学や技術理解を通じて事業の将来性を見極め、融資を実行しました。

決算書の数字だけに頼らず、経営者の哲学や信念、会社の技術を自分たちの目で見極めた判断が、本田技研工業を救い、日本経済における重要な役割を果たす企業へと導いたのです。

この逸話が示すのは、「数字だけでは見えない価値を見極めて信じる力」と「哲学を持つこと」の重要性です。

短期的な利益や目標にとらわれず、長期的なビジョンと信念を持つことが、困難を乗り越える原動力になるのです。

哲学なき働き方が招く問題

哲学を持たずに働くことには、リスクがあります。

それは、仕事が「やりがい搾取」や「空虚な労働」に陥ることです。

短期的な成果や数字だけを追求する働き方は、一時的には成功を収めるかもしれませんが、長期的には心の空虚感やモチベーションの低下を招きます。数字を達成することに喜びを覚える人がいることも事実ですが、私は銀行時代にもうコリゴリと思って転職しました。

特に現代の労働環境では、非正規雇用やブラック企業問題など、働く意義を見いだせない環境が増えています。頑なに年功序列・終身雇用を続けて、年長者を優遇し、若年者を踏み台にするような環境や、ダラダラと会社にぶら下がる社員を雇用を守るという大義名分だけで守り続けているような組織も然りです。

このような環境で働き続けることは、精神的にも肉体的にも消耗するだけでなく、社会全体の生産性を低下させる要因となります。

さらに、労働価値説に基づけば(私はマルクス・レーニン主義者ではありませんが)、私たちが生み出す価値の多くは、適切に評価されていない現状があります。この不均衡が私達のような生産年齢世代が何とも言語化できないモヤモヤを抱えて生活をしている根っこになっている気がします。

これを是正するためには、社会システムそのものを変える必要があります。そして、その変化の原動力となるのが、「哲学」の力です。

哲学が生む持続可能な働き方

哲学を持つことは、働く意義や使命感を見いだし、同じ波長の人たちを引き寄せる力にもなり得ます。

哲学があることで、日々の仕事に充実感を得られるだけでなく、困難な状況に直面しても乗り越える力を与えてくれます。

例えば、松下幸之助氏や稲盛和夫氏といった日本の経営者たちは、哲学を経営の中心に据え、長期的な成功を収めてきました。

彼らの教えは、決して自分と同じことをしろという完コピを求めているのではなく、現代においても多くの示唆を与えてくれているものだと思います。完コピしようとしても生きている時代が違うし、汎用性のないものが多いのですが、抽象度を高めると彼らから学べることは多いです。

個人としてだけでなく、チーム・組織として働く際にも、同じ価値観やゴールを共有する仲間とともに働くことで、困難を乗り越え、新たな価値を生み出すことが可能になります。本田宗一郎氏の言葉に共感し、それを実践する仲間がいたからこそ、本田技研工業は大きな成功を収めることができたのです。

社会全体における哲学の意義

哲学は個人や企業だけでなく、社会全体にも重要な影響を与えます。

たとえば、フランスでは哲学教育が義務教育の一環として重視されており、高校卒業試験のようなもの(バカロレア)では必須科目になっていて、4時間かけて回答を作成するそうです。

フランスではそれくらい哲学は大事で、物事の根本的な意義を考える力が必要であるという認識があります。このような教育を通じて、社会全体の意識や行動にも変化が生まれるのです。

一方で、日本では公共的な役割を担う職種、たとえば保育士や介護士、公務員といった仕事が適切に評価されていない現状があります。

これらの職種は社会を支える重要な仕事でありながら、「やりがい」や「志」に頼り切った待遇が課題となっています。

こうした問題を解決するためには国家レベルでの変革が必要となってくるので、個々人の力だけでは何ともできないものですが、個々人が哲学もって労働の意義や価値を見直すことで、新たな道を探ることも可能になってくると思います。

哲学を持つことで見える未来

人生100年時代、私たちは働き方の根底に哲学を据えることで、より意義深く充実した人生を送ることができるのではないかと思います。

私は西洋の哲学者のことについて、深く語れるほどの知識はありませんが、これは譲れないというものがあります。この譲れないものを哲学の芯とするならば、一人ひとりが自分自身の哲学の芯を持つことは可能なのではないかと思います。

記事の前半部分で触れたホンダと三菱銀行の逸話は、凄く意識しており、金融の世界にいると財務や投資の指標だけで企業を語り、良い会社だとか成長が見込まれるとか、この事業部門を売却せよとか発言する者が多いなか、いやいや工場や研究施設など現場を見ずに企業分析をしたつもりになってるんじゃねーよと心の中で思うのです。顧客との面談や現場見学、会社の歴史などの一次情報と財務情報を組み合わせてこそ、その会社の価値が見えるわけで、その会社に関わってきた多くの人のストーリーが見えてくるのです。そこで働く人がいることを考えずに、儲けの対象とでしか見ない金融マンに対しては物凄く違和感を覚えます。

この強烈な違和感に鏡を当てることで、私の哲学が見えてきます。

このように違和感こそ常に正しいという考えに従って考えると、違和感から自分の哲学を見出すことも可能なのではないかと思います。

それに基づいて行動することで、個々人の未来が開け、社会全体もより良い方向に変わる可能性があります。

以前、参加したセミナーでコテンラジオで有名な深井龍之介さんが、「労働人口の10%くらいが今の会社を辞めて転職したらマジで世の中変わるかも」と仰っていたことをふと思い出します。

一人ひとりの行動によって、社会は変わっていくものなのです。
哲学の教育に熱心なフランスは、フランス革命で絶対王政を打破して自由を獲得したという歴史があるので、なにかとデモやストが多くて個人主義と揶揄されることもありますが、確りと個を持って社会を動かしているのだと思います。

哲学とは、私たちが直面する課題や問題に対して、どのように行動すべきかを示す道しるべです。その指針に従って行動することで、個人としても社会としても、より豊かな未来を築くことができるのではないでしょうか。

「はたらく哲学」は何か?その問いを自らに投げかけ、脳に汗をかいて深く考えることが、人生100年時代において充実した日々を過ごすための第一歩となるのかなと思います。

今まで哲学という領域に興味を示すことがなかったのですが、齧り始めてみようかなと思います。

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釧路人おだわら
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