サヨナラアナタ

瞬間湯沸かし器なんて言って、どれぐらいの人がわかるんだろう、今。
キッチン、洗面所、お風呂。今や三か所給湯が当たり前の時代。給湯器という言い方はしても、湯沸かし器なんて言い方はほぼ死語なんじゃないだろうか。

やかんに水を入れ、コンロにかけてガスにボッ!と点火して、やかんの中の水がしゅんしゅんと沸騰してお湯になるのを待つのが当たり前だった時代に、すぐに蛇口からお湯が出る、つまり一瞬でお湯を沸かすことが出来る装置ってことで、この名前で呼ばれるようになったんだろう。
なんて安易でなんて解かり易い名前。
ボッと点火して待つことなくすぐにお湯が出ることから、すぐ物事に熱くなることを「瞬間湯沸かし器みたい」なんていう言い方もした。
まぁ、このたとえすらもう死語ですね、今の時代。

どちらかというと、私はこのタイプ。
少しづつ熱くなるんじゃなくて、突然何かに、それこそ自分でも気づかないうちに足元にあった落とし穴に落ちていたという感じ。気づいた時には穴の中なんだから、どうしようもない。どうしてここにいる?と理由をあれこれ考えて、行動を振り返ってみてもよくわからないなんてことが多々。

ここ数年自分で観察してみて、だいたい5年から最高で10年ぐらいは同じ穴にいて、そこで熱湯を出し続けている感じ。
5年から10年も延々と熱湯を出し続けるということはかなり負荷がかかる。時にはぬるま湯や水を出したりして、「ちょっと調子悪いんですよね、メンテして貰えませんかね?」とメッセージを出すことが出来れば、もう少し長い期間作動することもできるんだろうけれど。
そもそも、それが無理だからこうなるわけで。
いや、よく考えると瞬間湯沸かし器は、必要な分のお湯さえ供給すればいいのであって、熱湯を出し続けるなんていう使用の仕方は推奨されていないから。ということは、私は瞬間湯沸かし器でもないっていうことになる。
あれ?ま、いいか…。

ともかく、穴の中で熱湯を出している時は、本人も楽しいから狭い穴の中の住み心地が少しづつ悪くなっていることに全く気付かないまま過ごしてる。居心地の悪さを作り出しているのが、自分自身が出してる熱湯なんてことにも気付かずに。
結局は、自分で自分の首を絞めてるだけ。

何にでも適温というものがあるのに、それを自分で調節できない。誰かにダイヤルなりレバーなりで温度調整してもらわないといけない。情けない話だけど。
でも、「大丈夫?」「ちょっとお湯出し過ぎじゃない?」なんてたとえ言われたとしても、本人は「楽しい」の絶頂なんだから、「この人何言ってんの?」状態で、聞く耳なんて持っちゃない。この時点で、もし温度調整のダイヤルやレバーがあったところで何も意味をなさないってことだわ。だめじゃん、アタシ。

そんなこんなで、大抵ギリギリまで熱湯を出し続けた結果、自分の出したその熱湯におぼれてアプアプしてしまう。
穴の中に溜まった熱湯も時間が経って、出し始めた頃の熱さなんてとうに無くなってて、冷や冷やになってるから、それが余計骨身に染みたりする。
アタシは何をやってんだ?って。

これが、趣味にしろ仕事にしろ、対人間で他人さんが絡んでしまう場合、引き際が難しい。
こちらは、もう限界。熱湯なんてもう出せない。かといって水を出し続けるなんて、湯沸かし器にあるまじき行為もできない。もう、廃棄するしか道がない。


こういう状態になってしまったこちらを知って、「ご苦労さん」なんて言われることもたまにはある。「もう少し肩の力抜いたらいいのに…」とか、「損な性分だね」なんて言われたこともある。そういう時は、本当に申し訳ないと思ってしまう。

関係を終わりにしようと思ったときに初めて気づくことが多いんだけど、こいつ最初から熱湯を出す機械としてしかみてなかったろ?!という奴もいた。
「今まで当たり前に出来てたことがどうして急に出来なくなるんだ?」「はぁ?何言ってんだ?テメェ?!」という心の声が透けて聞こえてくる。
あぁ…、この人には私の実体は掴んで貰えてなかったんだ。何を見て何を見られてきたんだろう。っていう虚しさが押し寄せてきて、状況を説明する気すら起きない。溜まった冷や冷やの水がなぜここにあるかなんて一から説明することなんて到底できないし。

というようなことを考えて出来たのが、これ。
まぁ、SOSを出したり、熱量の配分をできない自分自身が一番悪いんですがね…。

対象者は1人。色々教わることもあったけれど、もう会いたくないし会うこともない。
やっと言えたサヨナラ





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