ハーフムーン 第8話

第8話
 ついに、あたしは練りに練った作戦を実行することにした。かれんさんとの談義がかなり後押ししたけれど。
 クリスマスまでカウントダウンのある日、アトリエでいつものように彼らと珈琲を飲んでいた。あたしは、さも今急にいい事を思いついたふりをして、素っ頓狂な声を出したかもしれない。
「あたし、ケーキ作りが得意なんです。もうすぐ絵、完成しますよね。そのお祝いにクリスマスイブか当日お二人にごちそうしたいんですけど、お忙しいですか?」
 江崎と柘植は顔を見合わせた。二人は
「嬉しいけど申し訳ないなあ」と笑顔で答えたが、実はあたしはケーキなんて作れない、
クリスマスに江崎に会うための苦肉の作戦だった。ケーキは失敗したか床に引っ繰り返したことにして、美味い店で買っていけばいいだろう。女たらしの柘植は夜クリスマスデートの約束があるかもしれない。江崎は浮いた噂ひとつ聞いたことがないからフリーのはず、というか心底そう願いたい。
 二十四日のイブの午後三時にアトリエで集合することになった。完成した絵のお披露目も兼ねていたから、あたしにとったら二重の喜びだ。約束を取り付けたことを、かれんさんに話したら、
「それいい案だわ。私もプレゼント作戦でいこうか」と、鼻息を荒くして意気込んでいた。
 日めくりカレンダーがパラパラとめくれるように、師走は駆け足で過ぎていく。とうとう運命の二十四日がやってきた。あたしは興奮して前の晩なかなか寝つけず、結局、睡眠不足のまま慌てて出かけた。雪でもぱらついていたらロマンティックだったが、あいにく雲一つない晴天だった。
 駅前のケーキ屋で苺ショートを三個買う。それから電車に乗り二駅先で降りた。大学正門までの木枯らしに揺れている、ポプラの茶色い並木道を歩きながら、昨夜懸命に考えた告白のセリフを心の中で反芻した。
「お慕いしています」
「尊敬がいつしか恋にかわりました」
「好きで好きでたまりません」
 どれもこれもイマイチだなあ、と思っているうちに正門の前に着いた。約束の時間まで三十分以上あったが、歩を休めず、アトリエに急ぐ。
 早く江崎に会いたかった。
 冬期休暇に入るせいか、学生の姿はまばらで、キャンパスや校舎は活気がない。ひとけのない廊下を通って階段を二階に上がり、すっかり慣れ親しんだアトリエの開き戸の前に立つ。胸がドキドキ鳴ったいる。一呼吸置いて深呼吸し、戸をわずかに開けた。
 と、話し声が耳に入ってくる。豪快な笑いがそれに続き声の主が江崎だとわかったが、とても信じられない。ふだんのイメージとはまるで違う、開けっ広げな笑いだった。あたしは思わず、戸の隙間から中を覗いた。視界のすぐに見覚えのあるイーゼル、あたしを描いた絵の完成品がかかっている。
 その向こうに、江崎と柘植の後ろ姿が覗いた。陽の射し込んだん粗い木目の床に二人の長い影が伸びていた。
「省吾、どうすんの、彼女マジだぜ」
 ふいに柘植の声がして、あたしの足はすくみ、その場から動けなくなった。
「俺、何もしてねえよ。モデルを頼んだだけじゃないか」
「でも彼女、ぜったい気があるよ。あんたを切なそうに見る、あの熱いまなざし。手作りケーキ持って今頃勇んでこっちに向かっているよ」
 もしかして・・彼女ってあたしのこと?
「なんだよ、やいてんのか、尚人」
 江崎の声が甘く潤んだような気がした。
「別に。好きにすりゃいいだろう。あんたのやることにいちいち口出ししません」
 柘植はくるりと江崎に背を向けた。江崎はにやりとして、柘植のきゃしゃな肩に両腕を回し、いきなり後ろから抱きすくめた。
「馬鹿だなあ、すねるなよ。俺が女に興味ないこと知ってるくせに」
「ホントに?」柘植は甘えたように首をかしげ、うっとりした目で江崎を見つめた。
 あたしは廊下にケーキの箱を落とした。立ちくらみがして足元が崩れそうになる。パニック状態のまま数秒、どうにか持ちこたえていたが柘植の声ではっと我に返る。
「なんか音しなかった?あれ戸があいてる」
 パニックが解除されるや、きびすを返し一目散に駆け出していた。階段をおりていく途中で後ろから声を掛けられたが、振り返らずにひた走った。正門の前で手を振りタクシーを止める。一刻も早く、彼らの近くから逃げ出したかった。
 マンションに着くと真っ先に、かれんさんの家のドアフォンを押した。何度も何度も押した。が、かれんさんは出てこない。
 思い出した!かれんさんはこのところ、クリスマスイベントおかまショーの練習に忙しく、店に早出をしていた。仕方なく、あたしは自分の部屋に帰った。こんなはずではなかった。ショックを通りこし、ただ放心していた。十代最後のクリスマス、何故こんな悲惨な思いをしなくちゃいけないの?あたしはベッドの中で泣いた。布団にもぐりこみ、声を出してむせび泣いた。そのうち泣くのにも疲れ、知らぬ間に死んだようになって眠りこけていた。
 目が覚めた時には部屋は真っ暗だった。どのくらい眠ったのだろうか?いったい今何時なんだろう?
 カーテンを開けて外を眺めた。漆黒の空に半分欠けた橙色の月がはりついていた。真冬の宙に浮かぶ、かちかちに凍った月・・丸いお皿がまっ二つに割れてしまった哀れな片割れ・・もしかしたら失くした相棒を探して悲しんでいるのではないか?
 あたしはしばし、ミステリアスな想像の世界に浸った。が、ふいに昼間の忌まわしい記憶がよみがえる。江崎と柘植の抱擁、あの倒錯の情景!柘植の女性関係も周りへのカモフラージュだったのかもしれない。それともまさか性別不問のバイセクシャル?
 頭をぶるんぶるんして禁断の映像を振り払う。江崎への熱い想いは氷点下になり、宇宙のはるかかなたに霧消してしまった。マリに話したらさぞ驚くだろう、でも今さら馬鹿馬鹿しくて伝える気はない。この世は男と女しかいないなんていう社会通念も、どこか嘘っぱちで胡散臭い。世の中には男や女になりきれない人、社会に認知されたくて懸命にうごめいている人が確かに生きている。

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