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事実と解釈を分ける事について考えた話

少し前だけど、現在参加しているオンラインサロンで「事実と解釈を分ける」についての話があった。

自分も含めて、人って事実に対して自分の過去や経験に基づく「解釈」をのっけて判断してるわけよね。

よく「話を盛る」って言葉を聞くけど、その「盛る」が「解釈」に該当する部分かなとも思う。

そんなわけで早速自分も【事実と解釈】を分ける作業をしてみたんだけど
折角なので、自分がカウンセラーを目指したいと思った、最強最悪な出来事をベースにして切り分けて行こうと思う
(最強最悪な出来事詳細は下記参照にしてね★)

まずは事実


①仲がいいと思っていた後輩が鍵のないTwitterで私の悪口を書いていた
②上司Aにそのことを相談。Aから「許せない。いつかギャフンと言わせる」と言われた。
③そこから4ヶ月間何もなし。
④私、爆発して上司に暴言ラインを吐く
⑤その後教育トレーナーの資格を外される

次に解釈


①友達だと思っていたのに、相手は私を友達じゃないと思っていたと感じて悲しくなった。
②何かしてくれる、スカッとする何かをしてくれると期待した。この人に相談してよかったと安心した。
③信じて待っていた自分がバカみたいだと感じて悲しくなった 
④嘘をつかれたと感じて虚しくなった。今までの事も全部嘘だったと感じて虚しくなった。本当に私を心配したのではなくて優しくすれば自分の思い通りにコントロールさせるためだと感じて、利用されたと感じて悲しくなった。
⑤私にはもう利用価値がないから切り捨てたんだと感じて怒りがこみ上げてきた。

解釈を眺めてみる

事実と解釈を切り分けて次に行ったのは「とりあえず解釈を眺めてみる」でした。フラットに「こう感じたから自分は悲しくなったんだ。虚しく感じたんだ。辛かったんだ」そう受け入れる事からはじめました。

そうすると、なんかよくわかりませんが少し心が落ち着きました。

「なんかよくわからない」の理由を掘り下げようかとも思いましたが、ただシンプルに心地よいと感じることなので「自分はこういう気付きが好きなんだ」と思うにとどまる事にしました。

これが自己認識であり自己受容というのかな?と最近思うときもあります。

切り分けた後どうする?

無責任ですが、明確な答えはありません(笑)
ただ折角切り分けて考える事が出来たのですから、これを前向きな方向に活かす方が、絶対楽しいと思うんですよね。ワクワクする方に活かすというか。

これはあくまで私の場合ですが、今は「事実と解釈を分ける」→「解釈をフラットに眺めて自分が感じたことを受け入れる」で止まっています。ですがこの習慣がもう少しブラッシュアップさせる事が出来れば

思考のクセというか、一定のパターンみたいなのが見えて来ると思うのよ。
・出来事(事実)が起きる
・○○とネガティブに認識する。
・○○と認識すると自分の心派▲▲と解釈して辛くなって、悲しくなったり苦しくなったりする。

そのクセを把握出来るということは、言い方を変えればいつ、どのタイミングで自分がゴキゲンになれるきっかけを与えればいいのか、それが分かる事だと思うんですよね。たぶん。

正解は無いし、個人差もあるから一概には言えないけど、1つの参考意見ぐらいのライトな気持ちで伝われば幸いです。

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