松田くんについて
小学2年生の頃、田村さんという女の子が好きだった。田村さんは色白で、鼻に大きなホクロがあって、リスみたいな目をしていて、かわいかった。三つ編みやったと思う。田村さんはよく鼻血を出した。顔が真っ赤になったら、鼻血がでる危険信号だった。夏休みに近づくにつれて、鼻血が増えた。血が染みた、真っ赤な鼻栓をしてた顔をよく思い出す。でも、田村さんは太ってて、それとなくいじめられ気味だった俺にも優しかった。消しゴム貸してくれたり全然してくれてたと思う。同じ班でとなりやったのがうれしかった。
でも、田村さんは、松田くんが好きやった。前の席に座ってた。松田くんは、シュッとしていて、足早くて、サッカーやってて、左利きやったのもさることながら、小2には珍しくおもしろいというモテ要素ももっていた。しかも、うんこちんちんで5時間ぐらい笑い転げられる小学2年生の中でもクール系の笑い、いわば例えツッコミやいじりなどで笑いをとる、ちょっと一歩先を行ったやつだった。
多分、嫉妬という感情を知ったのはあの頃だと思う。松田くんがサッカーでボールを持つと、田村さんは黙ってそれをみつめていた。点決めたあとに、田村さんとハイタッチするなど、松田くんはさりげないボディタッチという武器も兼ね備えていた。それをみながら俺は、歯を噛み締め、ギリギリしていた。
俺は、3枚目キャラでいっつも松田くんにいじられて、松田くんのおかげで生かさせてもらってます、みたいな、さんま御殿でさんまに媚を売るエンタ芸人のような立ち位置で班にいた。松田くんのローキックや肩パンを「ちょっ、やめろって!笑」みたいな感じでリアクションするしかなかった。リアクション芸人という立ち位置が、班の中で固まっていた。田村さんは松田くんが俺を転がして遊ぶのを見ていつも笑っていた。
夏休み、俺は復讐を誓った。俺は2個上の兄と兄の友達とよく遊んだ。4年生。小学校で2歳差というのは、大人になってからのそれとは、雲泥の差がある。やはり、笑いのレベルは年齢とともに上がり、ギャグに間がちゃんとあったり、話にフリとオチがちゃんとあったりする。また、ソフトなエッチな話などもできるようになる。夏休み、昼間にみんなでおとんのパソコンをつかってエッチなサイトをみんなで見たりした。
俺はクラスのやつらの知らない世界を知っている、と優越感だった。あらゆる小4のギャグやおもしろ話が、俺の内部に蓄積していった。自分のお笑い偏差値があがっているのを感じていた。
夏休み明けが勝負や、多分1週間ぐらいで席替えする。俺が松田くんをぶっ倒して、クラスのお笑いチャンピオンになるんや!と誓った。夏休み明け初日、闊歩して学校に向かった。
結果は、大成功だった。俺のギャグというギャグに田村さんが爆笑した。田村さんは「ちょっと待って」といいながら、プルプル震えて机に突っ伏していた。具体的には、覚えてるところでいうと、阪神のエース井川のサークルチェンジという球種を当時のサークルKのCMのイントネーションで言ったりした。あとは兄や兄の友達の失敗談、すべらない話を借用し、さも自分のことのように語ったりした。天丼や三段落ちなど、お笑い文法も活用して話した。おもしろいこと、話がポンポン出てきた。
俺はあの時、確かにお笑いチャンピオンだった。だんじり野郎だった。田村さんの甲高い笑い声、そして松田くんはこいつやるやんけとちょっと口ごもっていた。俺の時代が来た。ついに。と思った。
だが、幸福な時間は長くは続かなかった。初日で全てネタが尽きてしまった。調子に乗って全て手の内を明かしてしまったのである。また、小4といえどやはり下ネタが笑いのほとんどで(なまじ知識があるのでキツいのもある)おもしろいけど田村さんの前では使えないものがほとんどだった。安全だけど笑えるネタが少なく、ほとんど残っていなかった。
翌日から、お笑いチャンピオンのベルトは自然と松田くんに戻った。松田くんは、初日のえげつない勢いを失った俺をみてちょっと困惑しながらも、すぐ通常運転に戻り、変わらずいじりと軽い暴力を続けてきた。田村さんは、俺の。初日の勢いを取り戻そうと無理に笑かそうとしてした、かいけつゾロリなどを模倣した寒いギャグを痛々しい目で見ていた。夏休みから1週間ぐらいで、席替えとなった。その後、松田さんとも田村さんとも中学まで一緒だったが、同じクラスになることも、同じ班になることももうなかった。
松田くんは、高校から軽音部に入ったと聞いていた。俺は高校で野球をやった。
大学で軽音サークルに入った俺はある日、練習に京都の有名スタジオ246に行った。すると、松田くんがいた。松田くんは「慎平やん!」とニコニコしていた。俺が音楽やってるのが意外らしくて、めっちゃ笑っていた。でも、優しかった。
Lスタジオという、ライブ会場みたいなところが246にはあり、そこでサークルのライブがあって、PAもやってもらった。俺が彼女にフラれたあとで、半泣きになりながら上半身裸でやけくそで絶唱したレッチリのStone cold bushをケタケタ笑いながら見ていた。楽しそうにしてくれたのを覚えている。
今、松田くんは元気にしているのだろうか。246にその後何回かいったが松田くんの顔は見れなかった。今は何しているかわからない。
昨日、いい天気に身を任せて川を歩いて、なぜか松田くんのことをちょっと思い出した。
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