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聖域のギャラリスト(エピソード1"白銀のバブーシュ")

 自問自答ファッションのコンセプトでふわっと書いた「聖域のギャラリスト」の創作話として、完結させておきたい話があったので書きました。

https://shop.daryasmine.jp/?pid=166188662

 
(この話は一部、実話を元に創作したものなので、先々消すかもしれませんが、私なりのメッセージを込めて書きました。
*毒親・DVに関する記述もあるので、苦手な人にはおすすめしません。最終的にどんな逆境にあっても希望を失わず、強く生きる人を描きたいと思いました。)


「聖域のギャラリスト」エピソード0はこちら


商店街の片隅にある小さなお店、ここは『聖域のギャラリー』。一見すると普通の古書店兼ギャラリーだが、秘密のメニューがある。
この店主は、頼めば自分だけの『聖域』を創ってくれる。まるで何か、普通では見えないものが見えているかのように。そして客はなぜだか、この飄々とした人物の前で、懺悔でもするように、するすると心の澱みたいなものを吐き出してしまう。
そんな不思議なオーダーメイドのギャラリーへようこそ!


いらっしゃい。
さて、今回仕入れたのは、銀色に輝く美しいバブーシュ、まあ話だけでも聞いていってよ。

このバブーシュは、遠く北アフリカのある国と取引している、ある雑貨屋さんから仕入れたもの。
この美しい刺繍がついた銀色の靴はある女性が作った。妻であり、母でもある一人の女性が…。

女性の名前は陽華、長い黒髪と鹿のように強くしなやかな脚を持つ、マラソン好きの元気な日本人女性だ。彼女は今から10年ほど前に、あるアフリカ人の男性と出会った。彼は留学生で二人は恋をし、互いが仕事を得たタイミングで結婚して家庭を築いた。二人のやんちゃで可愛い息子にも恵まれ、共働きで大変なこともたくさんあるが、幸せな家庭に思えた。

しかし、夫の母親が急な病で倒れたため、一家揃って彼の祖国に一時帰国したところから、彼女の人生は音を立てて崩れていった。

一族で商売を営み、かなり裕福な夫の親族たち。このファミリービジネスの後を継いだ夫の兄は結婚しておらず、後継者となる子どもが一人もいなかった。
だから、彼女たち家族は呼び寄せられたのだ。
彼女の幼い息子たちを後継者として、北アフリカの夫の祖国で育てるために。
母親の病というのは嘘であり、ただの口実だった。
もう彼女たち一家を、日本に帰す気などない。
三週間の楽しい滞在のはずが、彼女と息子たちにとっては、終わりの見えない、苦しい日々の始まりとなった。

二人の息子たちのパスポートは、入国するなり夫に取り上げられた。夫の実家である広い邸宅につくと彼女は、夫の兄や姉たちから日本人であることを理由に差別を受け、虐げられた。
彼らの態度は、10年前に日本で結婚した時に祝福してくれた姿と180度変わっており、彼女は愕然とした。
日本ではよき夫であり、勤勉な会社員だった夫の態度も急変、日本への不満を爆発させ、親族の側につき、彼女を部屋に軟禁し、機嫌を損ねると彼女を無視した。

彼女は騙されたことに気づき、日本に帰して欲しいと泣いて懇願したがどうにもならない。
口答えしようものなら、姉たちは暴力をふるった。
携帯電話を取り上げ、彼女の上着を破り、彼女たちが閉じ込められた部屋にたびたびきて、口汚く罵り、喚き散らす。

異変を察知して帰国をせがむ息子たちに手をあげる夫の姿を見た彼女は、彼もまた暴力による支配を受けて育った人間であることを悟った。
激昂する表情の奥に、不安や恐れ、怯えが見てとれる。不安定な情緒の波。
夫は自分の家族の中で続く、抑圧と暴力いう負の連鎖から逃げられない人間なのだ。

かろうじて取り戻した携帯電話で、彼女は必死に助けを求めた。日本にいる自分の親や兄弟、現地の警察や日本大使館にも相談したが、彼女の身柄は保護されたとしても、息子たちのパスポートだけは取り返せないのだという。

息子たちを連れてなんとか日本に逃げたとしても、大きな障害がある。ハーグ条約だ。
両方の親の同意なく、子どもを連れて在住国の国境を超えてはならないというこの条約に、日本も夫の祖国も加盟している。
うまく日本に逃げても夫に見つかったら、連れ戻されてしまう。生涯、夫やその親族の影に怯えて暮らすことになるだろう。
背が高く逞しく、無口だが頼もしかった夫の太い腕や背中は、今や脅威でしかない。

「息子たちは渡さない、お前一人で帰れ。お前のことなんかどうでもいい。」と冷ややかに夫から言われ、彼女は絶望し、帰国を諦め子どもたちのそばにとどまっている。
もはや悪夢としか思えない。
自分の自由と引き換えに、年端も行かない子ども二人、泣いてすがる我が子を置いていく決断がどうしてもできない。
そして彼女は感情を動かすことをやめてしまった。徐々に表情はなくなり、心を閉ざして自分の考えを口にすることもない。

夫と子ども以外の、人生のほとんど全てを日本に置いて来てしまった。親も兄弟も友人も、購入した自宅も貯金も、仕事もプライベートも、一人の人間としての何もかもを、取りに戻れる予定はもうない。
夫とその家族が、剥ぎ取るように、自分から何もかもを奪ったことを決して忘れることはできないだろう。

その頃、事情を知り彼女の身を案じた日本の友人が、ある雑貨屋にたどり着いた。
この雑貨屋は北アフリカで現地の女性たちの自立支援も兼ねて、工房を巡り、キリムやバブーシュなどを買い付けている。現地にいる駐在するスタッフもいて、日本人妻の会など、地域コミュニティとの関わりもある。

今、彼女はこの友人を通じて縁を得て、一日のうちの数時間、外出を許されると、ある工房で働いてバブーシュを作り、こっそりとその賃金の一部を貯めている。滑した革を断ち、丁寧に縫い合わせ、裏地を貼る。
仕上がったのは、北アフリカの強い日差しを受けて、白銀に輝くしなやかな美しい靴。繊細な刺繍がびっしりと施されている。それは悲しく、美しい願いごとのようだ。

再び自立し、自由になる日を信じ、願いながら歯を食いしばり、彼女は生きている。
現地の言葉を覚え、現地の人権団体の保護を受けて裁判をし、離婚して息子二人の親権を勝ち取ることを目指している。
アラブの春以降も、この国の女性への扱いはなかなか改善せず、家庭内でのドメスティックバイオレンスは内輪の問題とされ、あまり表に出ない。それでも支援団体がいくつか発足した。
今は暗闇の中で手探りだとしても、必ず自分で自分の人生を立て直す。
自分が諦めないこと、再び息子たちと幸せに暮らすことこそが、一番の復讐だ。
じっと待っている、子どもたちが成長し、自分の翼で羽ばたく日を、自分を虐げる者たちが天寿を全うし、年若い自分と息子たちが生き残ることを。

友人は彼女にこんなメッセージを送っている。
「今、自分の人生よりお子さんたちと一緒にいることを選ぶなら、そんな自分を褒めて下さい。
子供はいつまで子供ではありません。周りの方々の命も永遠ではない。状況が変わる時はくるかもしれない。
どうか最後まで希望を捨てないで。いかなる判断をしたとしても、私はあなたの友でいます。」

この銀のバブーシュを履けば、どこにでも行ける。
通常、バブーシュは室内履きだが、このバブーシュにはきちんとした靴底が貼られている。
だから遠くまで歩いていけるのだ、自分の足でどこまでも。
人は自分の足で、自分の行きたい方へ歩いていける。そのことを、いついかなる時も忘れてはいけない。

さて、このバブーシュにまつわる話は終わりだよ。
どうぞ、試しに履いてみて。
柔らかい革で縫い目も当たらないようにしてあるから、履き心地がいい。軽くて、歩きやすいでしょう?
旅の途中でどんなにいい馬車を見つけたとしても、最後には自分の人生を自分の足で歩くのだということを忘れなければ、あなたから誰も何も奪えない。
これはそういう靴だよ。旅行鞄に一つ、忍ばせておくのがおすすめ。

jujube作

お読みくださり、ありがとうございました!





次の旅に行ってきます✨またいい記事書きます。おもしろきこともなき世をおもしろく、が合言葉!