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「いま、ここ」

2年前くらいから
主人の影響を受けて、読書を始めた。

数ヶ月で1冊といったペースだけど、
ここのところ読んできた本に
必ずと言っていいほど出てくるワード

「いま、ここ」

我が家にとっては
結構身近な言葉だと感じる。

初めて意識して聞いたのは、
息子の主治医から。

ほぼ80-90%以上なくらい
特定の難病の可能性を初めて伝えられ、
その際、息子は、
「将来歩けるのか」「話せるのか」
を心配して、主治医に聞いた時

「今、目の前の息子さんを見て
やれることを考えていきましょう」

と。

「いま、ここ」
と、遜色ない言葉だったと思う。

それからは、
先々のことを心配したりすることが
無かったと言えば嘘になるけど、

主治医の言葉を、時々思い出して
「いま、ここ」
とやってこれたと思う。

その後、読書をして行く中で
いろんな場所で
「いま、ここ」を見つけた。

人生は、線ではなく、
刹那の連続、という。

点の連続
と、先程まで読んだ本から
教えられた。

遠くから見ると線に見えるかもしれないけど、
拡大してみると、細かな点の連続でできている。

だから、

「いま、ここ」
に強烈なスポットライトを当てて
真剣に生きる。

過去も未来も無い、
「いま、ここ」

難病の可能性を伝えられたあの頃から、いつも
いま、ここ を考え
やってこれたか、というと、
過去はそこまであまり考えていなかったけど、
将来(未来)は、結構考えている時間があったと感じる。

障がいのある息子が
将来どのような生活をしていくのか
想像して不安になることもあったし、

将来大人になった息子は、
どこまで知的部分が発達できるのか
歩けるようになるのか
と、想像して不安にもなった。

本音、今もその不安が全くないとは言い切れない。

でも、主治医に言われた
「いま、ここ」
今、目の前の息子だけを見て
やっていきましょう
と、当時頼れる存在が主治医しかなかった
わたしと主人は、その言葉を胸に
息子の子育てを、
もちろんそれまでもしてきたけど
改めて、スタートした。

目の前のこと。

生後8ヶ月
息子の体幹が弱く、いまだ首座りも不安定で
身体発達が遅い、

それなら、理学療法のリハビリを受けよう。

1歳、
離乳食が始まったけど、
食材をあまり咀嚼しないし、
言葉もまだ出ない、

それなら、言語聴覚療法のリハビリを受けよう。

2歳、
やはり、知的な部分が遅いと感じる、
それなら、子ども相談センターに相談して
必要ならば、手帳を取得しよう。

3歳、
支えが無くては立てない、
装具があった方が本人は生活がスムーズになりそうだ、
必要ならば、手帳を取得しよう。

、、、

「いま、ここ」しか
考える余裕が無かったとも感じる年月
だったとも思う。

今はわたしなりに少しだけ
息子の子育てに対して
ほんの少しだけ余裕ができて

将来を考える時間が増えたと感じる。

余計に就学前のこのタイミングは特に。

将来を考え、少し前に
いろいろと躍起になった。
そしたらまた少し辛くなった。

「いま、ここ」を
生きることの大切さを感じる。

その時その時の、
点の連続で、今がある。

息子は、
未だ独歩は難しいけど、
自分で立とう、という意識が芽生えてきた。
歩行器があれば、数十メートル
自分で歩いて移動ができる。

意思疎通も
少しだけ、たまに、
通じる時もある。

手元の苦手な細かい作業も
少しずつ、ほんの少しずつ
できるようになっている。

「いま、ここ」を
まずは喜びたいし、実感したい。

そして、「いま、ここ」に
これからも、強烈なスポットライトを当てて
真剣に生きていきたい。


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