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59小品目 我慢について

例えば職場を辞めたいと思って。やめよう、と決意したときに必ず湧いてくること。

もうちょっと我慢したら、なんとかなるんじゃないの?

ここで我慢できなかったら、よそでも我慢できないんじゃないの?

次のところでも同じような目に遭わないとは限らないし。

そんな簡単に辞めたら、辞めるクセがついちゃうんじゃないの?

このようなつらつらしたこと。



このようなことを思える時点で、あなたは我慢できない人ではない。そのあなたが、やめよう、と思っているなら、辞めていいのだ。もちろん辞めなくてもいいけど、辞めてもいいのだ。



もちろん嫌なやつはそこら中に転がっている。でもわたしは、以前にあなた変わっていますね?と言われた時にこう返した。

たしかに、わたしは変わっているかもしれませんが、まともです。

変わっていないかもしれないけど、嫌なやつはまともじゃないやつは、必ずと言っていいほど毎シーズン出てきます。

それはどうしようもないことだから、無視してもいいし、戦ってもいいし、逃げてもいい。わたしは逃げます。

わたしを変わっていると言った相手は、妙に納得してくれた。




また、わたしがまともじゃない人に害を受けている時に、相談したら、

その人はあなたが羨ましいのだ。

ととても意外な言葉が返ってきた。

あなたがいつも朗らかで、楽しそうだから、羨ましいのだ。

自分の持っていないものを持っていない人を羨む気持ちは分かる。でもだからといって、なぜ積極的に害をなそうと攻撃してくるのか。じゃあ、例えばわたしは自分の持ち家がなくて、持ち家のある人を羨む気持ちも勿論あるが、その人たちのところへ行っていちいち攻撃をするのか、

暇なのか?

としか思えない。さみしいのか、そうだろうな、そうなんだろうな。



また単純に自分には力があると思い込んでいる人が、その力の使い方として、えらそうにした結果、攻撃してくるというのがある。まあ、これは手に負えない。王様にはなにを言っても仕方ない。王様の耳はロバの耳だ、あれ?王様の耳はロバの耳、てそういう意味だっけ?それはおいといて、王様の領土から脱出するのが一番良い。三十六計逃げるに如かず、というやつだ。あと、だいたいほんとに偉い人はえらそうにはしない。えらそうにしたとしても、ちょっとかわいい。長州力ちゃんとか。



なんにしろ、我慢はそんなにしなくていい。吉本ばなな先生は著書に、

人間のいるのところには、最高なものと最低のものがある。

としていた。今のところの最低のものがあなたを傷つけるとしたら、もし次のところに最低なものがあるとしても、次のところに行っていいのだ。

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