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友情で見直す結婚相手の条件


お見合いやその後のデートでのコミュニケーションばかりを長らく続けていて、なんとなく疲れていたんだと思う。
なんとなく自分の会話がつまらない気がしていて、なんとなく自分のなんでもないことになんて誰も興味なんてもってもらえない気がしていて、なんとなく自分がちっぽけな存在に思えていた。

元々そんなにおしゃべりなタイプとも違うし(静かとも違うけど)、ぼんやりと話を聞いてなんとなく思ったことを言うくらいが心地いい。
そのぼんやりさを久しぶりに旧友とできてすごくホッとした。

今ハマってるもの、困っていること、未来について、を行き先もなくポツポツと交換し合えるのがとてもよかった。
うわべの仕事のビジネスの話じゃなくて、仕事をする時の気持ちの話とかができて、結局今休職している私でも心が強張ることなく話せた。
馴染みの店や馴染みの街というのもよかったのかもしれない。
デートの「大丈夫かな」「私がリードしなきゃ」とか「感謝の気持ちを表してかなきゃ」みたいなそういう一生懸命さはなくて、からだがふわふわと漂うみたいな感覚だった。


行きつけのここが好き、前菜がモリモリ


自分の感覚がこの人と違ってもいいなってもう思えるまでに、たぶん私は結構時間がかかる。
やっと気づけた気がするけど、「いろんなことを話せるようになる」ことと、「心を許せること」は当たり前に違った。わたしはいろんなことを話すことで会話を埋めていくのはすごく得意だし、面白い視点や面白い情報をそのために必死に集めているけど、面白くない自分のことを大事にしてもいいなって思った。


まあそういう人と出会えるかは運でもなくて、自己開示能力とかそういう固い話になってゆくんだと思うけど、それはそれ、
相手もたくさんの経験をしていてたくさんの感性がある人とともに生きていきたいと、改めて思った。
いやー1人惜しいと思ってる人がいるんだよな〜。難しい。