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表現について

いけばな展を見に行った。

https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/special/1_2_20220316153945/

大小200点近い、様々な花材が使われたお花たちをみた。
私はあんまりこういう展示での記憶力はないし、写真は撮らないし、2時間くらい見ていたので細かい感想は言えないんだけど、「す、すご、、」という感じだった。

いろんな流派の人の展示で、みんなに見せて解説をしている人とかもいた。
生徒さん同士で先生を囲んでいたりして、晴れの舞台なんだなと思うと、なんだかほっこりした。

連れてってくれた人との間柄についてはまたいつか別の機会に詳しくnoteに書こうと思うんだけども、その人は花道を3年くらい習っている人で、見ていきながらその人の視点での解説をしてくれた。
そして打ち解けてくると、「作りたい、表現したいもの」の片鱗について熱く語ってくれた。
「自分のしたい表現の手法と、観客が受け取りたい表現手法が正反対だから、そこの設計をうまくしないと」という話で、ふと私は表現かあみたいなことをぼんやりと考え始めてしまったのである。(人の話をちゃんと聞こう)

表現、私はまあまあやってるつもりだったけれども、受け取り手に対する無関心が先立っているのでこういうのは表現と呼ばないのかもしれないなあとか思った。
強いていうならこれは生き様を文字にしているだけ。
構成もなければ、こだわりもないし、テーマもないもんなあ。絵を描く人でいうところと、手癖スケッチ的な立ち位置なんだと思う。
ちょっとしたチャレンジ精神はあるけれども、その結果までを丁寧に拾い続ける気はない、的な。
スケッチが上手い人に「漫画描いてみたら?」と言っても響かないのと同じ。

じゃあ私が表現をやるとするとみたいなことを考えてみたけど、全然で、そもそも興味がないというか他人事というか、そんなもんなのかもしれない。やればできるのか?みたいなスタートラインにも立てなかった。
もちろん花道と文章では、お作法の有無みたいなところが違って、お作法をもっとちゃんと知って運用して守破離していったら表現と呼びたい形のものになるのかもしれないけれども。

なんかこういう、もやもやとした考えを話したい彼氏はもう元彼で、本当に寂しい。
表現について私と話してくれるひと、どこかに落ちていませんか?