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ジュディマリを聴きながら中学生の頃の記憶をたぐり寄せていた.

疲労と過労と躁鬱で半ば脳がやられて久しい落合陽一は,中学生の頃のことを思い出すことはほとんどない(それはそれで美しい忘却の中で退廃している).しかしながら,久しぶりに中学の同級生とたわいもない話をしたら,何だか記憶が戻ってきた.マリエは中学のときからの付き合いだからかれこれ20年くらい友達ということになる.驚くべきことだ,20年だ.まさか20歳になることが大人になることだと思っていた中学時代から20年も経つことになるとは思ってもいなかった.20年なんて永遠に等しい時間を光陰矢の如し飛び越えてきたのに,当時聞いてたジュディマリの音源を聞いてみたら,失われたはずの何かが戻ってきた感覚がある.

中学生の頃はロックスターみたいに27歳で死のうと思って生きてきたのに,魔法の世紀とPixie DustとFairy Lightsとモナドロジーとアリスの時間くらいを作って,デジタルネイチャー研を始めて,デジタルネイチャーを未完で書かずに劇的に死ぬことができなかったから,終わらない日常を生きることになった.そんな人間性を擦り切り終える瞬間を逃してしまった.

こんなシナリオ分岐を中学のときの自分は一ミリも予想してこなかったと思う.記憶が鮮明でいられる時間は短い.集中していられる脳も蓄積された睡眠不足や疲労と過労でどんどん壊れていく.虚無に向かって全力疾走し自然と一体化することを目指す自分を受け入れて行かなくてはならない.中学生でなくなるということはそういうことなんだろう.

ラジオは日曜の夜に放送.多分,下のリンクで聴ける.

さて,何となく中学の頃を思い出しながらエッセイを書いていこうと思っている.ちょっと甘酸っぱいような記憶のような,春先の話なのか,恋の話なのか.でも思えば,今は中学の友達もSNS上につながりがある時代だから,切れた縁への感傷みたいなものに想いを馳せることは少なくなったような気がする.

知らない間に眠ってた 午後の風の中で

日に焼けた鼻,汗ばむ胸.未だ知らないのはぬるくなった缶ビールの味.中学のとき,家の近くを自転車で散歩するのが好きだった.

タイムスリップするべきは14歳ごろの自分の記憶だ.ひょっとしたら13歳かもしれない.春先の日差しの中で家の近くの友達の家でだべっていたあの頃へ.

きっと繰り返す波のような日々から

その部屋ではMDに入れたラッキープールがループでかかっている.

 永遠なんてわからないけど優しい人になろう


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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

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