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「疲れ果ててないやつとか,出がらしになってないやつとか,野望とか目標とか語るやつらがとてつもなく嫌い」という価値観

徹夜明けのコーヒーをすすりながら朦朧とする意識の中で「クソ」とかツイートする疲れたおじさんのことが実は大好きな落合陽一です.

わかる,その考え方はわかる.僕も大好き,でも集団的にそれっていいのっていう,今日はそんな話.ゆったりするのもそれはそれでいいんだけどね.

「徹夜ではパフォーマンスが云々」という奴とは友達になれない.そういう話じゃないし,「日々生きているのが辛くて仕方がないからせめて必死に燃え尽きようと,自分が行なっている分野の発展に全力を尽くし,それすら無価値である空虚な諦めの中にいて,悲しみも絶望も湧いてこない」のが「俺たち」だ.そうなってくると「貶してくれてありがとう」と祈ることしかできない.

「疲れているときに愛せるものはなんだろう.『当人はすごく疲れて見えるけれど,そこから何かが捻り出されるような,絞り出されるようなもの』を見るのは好き.自分が疲れているときに夢とか希望を提示されても素直に受け取れない.だから,『絶望の底に残ったような希望』を死にそうになりながら提示してほしい.そして願わくば疲れた疲れた自分と同質でいてほしい,それが自己肯定感に繋がるからだ」

こんな世界観があると思う.よくわかる.ただまだ甘い.当事者性を持ってないからだ.つまり,この価値観の上で,出来るだけ自分の存在を死ににいく感覚,燃え尽きようと努力する追い込み方が伴ってこそ,何らかの行動は実現される.つまりは僕も出来るだけ疲れていたい人間なのでギリギリのラインに調整しないと自分が嫌になる.

確かに,無目的的に全力を尽くして,何にも興味がなくそれでいてなんでも興味があり,生命感に満ち溢れた,枯れ木のような生き物が好きだ.

社会全体が疲れていると疲れているものが好きになるのかもしれないな,と思うんだけど,果たして明るくなったらこの考え方は消えるのかと言われればそうでもなさそうな気がする.

でも最近思うのは苦しみが足りないと思うときはそこそこ元気なときだと思っているってことかな,今日はそんな話.マス文化の中に自分を置いて自分が一番嫌いな自分になることで自分を殺すことから始めて,自分を殺し続けろ,とかね.そうやって考えられるのはそこそこ元気な証拠.もっと削らないといけない.無気力と絶望のドアをノックし続けるのがテンションの使い方かもしれない.

目標や目的が金とか名誉のクソ野郎のことは相変わらず大嫌いなんだけど.何もやらずに硬直している奴も嫌い.全てを捨て去って,全てを投入して,それで自らも捨て去って,全力で自分を破壊しようとして見える気持ちよさへと惹かれる,それでいて全く自己肯定感のない人生を愛したあと全てを吐いて沈んでしまえ.つまるところ好きなものよりも嫌いなものの方が共感を集める世界が好きと声を大にして言えるか? ってことでもある.それを全力で好きだと言いながら,頭を壁に打ち付ける気持ちよさみたいなものかもしれない.総じてわからんやつはわかった何年後か知らんけどそういった年頃で燃え尽きようと努力し始めた頃に思い出して欲しいというやつだ.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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