自然に翻弄される社会とデジタルネイチャーとの間でマテリアルとデータについて考えている.デジタルネイチャー研から5年.
写真は近頃刷り上げたプラチナプリント,被写体は落合塾の方にいただいた歯鯨の歯.歯鯨の歯の写真をソルトプリントで,そしてユニークピースでその方には納品したのが懐かしい.あれはあの1枚しかない.一回性.
このトップ画像の写真はアナログ(歯)をデジタル(画像)にしてデジタル(調整画像)をアナログ(ネガ)にした末に,アナログの刷り上がり(プラチナプリント)からデジタル画像(ブログ)になった.ややこしい,しかし意味はあるはずだ.デジタルとアナログを経由した末に,でも着地はフィジカルなギャラリーでなくオンラインのギャラリーとデリバリー,ややこしい.(欲しい人いたらコメントにください,↓値段はこのくらいの感じ.エディションは20個)
アナログからデジタルを経由してアナログに付加価値を生む方法はたくさん見てきた.デジタルがアナログを経由して付加価値を生む方法は? と言われると VRアイドルのライブにフィジカルにお客を入れた上でバーチャルチケットを売るみたいなやつか? と考えながら今日は自然に翻弄される社会のことを思っている.その中で,色々模索してきたことを書いていこう(予測を考えながら,手を動かしてきてはいる)
デジタルネイチャーについては5年間で,多く語ってきたけれど今回はその辺の復習を含めて書いていきたいのと,考えをためてきた「スマートシティとコロナの雑感」は先日書いたのでその後編として仕上げたいのが今日の連載.
デジタルネイチャーについて考え続けてきたけれど,計算機越しの風景をみんなが見るようになってきて,ちょっと気持ちが近づいてきたんじゃないかと思っている.
デジタルネイチャーはイメージと物質の間で考えてた落合陽一が研究室を作るときに一般化した平衡点なので,その解説から.前回もあげたけどそもそもスマートシティは原義的に公衆衛生とも向いあうものだから,自然を制御するという観点では,文脈に入ってくるんだろうなと思っている.
今日は以前の連載も参照しながら,エッセイ的にこの辺のことを考えていこう.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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