「何をやっても無駄だ」vs「直感に従って生きる」vs「すべてのものに価値がない」vs「世界は美しい」→希望と同量の絶望を持って落合陽一の本を読まないことには表面だけで何も伝わらない.
受け手のマインドセットはコントロールできないし,表面だけをなぞられても何もないし,ということを繰り返しながら絶望に満ち溢れた素敵な世界を心穏やかに眺めている落合陽一です.僕の本を読んでポジティブなところだけを受け取ってもらっても僕は戸惑いながら絶望へ向かうことを繰り返すこれが味わい深い,という味わい深さの議論.エッセイみ.
いつも読んでくれてありがとう,と思いながら,なかなかに前提とするマインドセットを伝えることが難しい.苦手なタイプに絡まれることもあるさ.それは皆さんと同じです.
受け取り方は人それぞれ,しかしそうじゃねえんだけどなぁ,と正すのを諦めるのが味わい深いと思ってからは反論しない.
「何をやっても無駄だ」vs「直感に従って生きる」vs「すべてのものに価値がない」vs「世界は美しい」
この辺の躁鬱感をいったり来たりしながら中道を行くための感覚みたいなものがないとイキってくるか沼が出来る.適宜,ストレス沼に沈むイキりやろうか,沼が沸騰して踊って飛び出す沼野郎が,あらゆる価値に諦めて優しくなった感じの人に処方すると僕の本は良いと思う.お金に興味がなくて,価値には興味があって,無価値の諦めがあって,研究のお家芸感に絶望していて,それでいて研究が好きで,アートが好きだけど村社会が嫌いで,諦めずに手を動かすことをやめないスタイルみたいなものが大切だと思う.自分が作っているものを明日クソだと言える感覚みたいなものかもしれない.これを本にしないことにはどうしようもないかもしれない.一瞬一瞬で違う考えに行けるか.間違っても好きなことして生きていくって言わないか,言い終わったら好きなことして生きていくっていうか.
もし周りに落合陽一の本を読んでいたりYouTube(公式チャンネルじゃないやつを見ているやつ)がいたらこの辺を伝えてあげて返ってくる答えを聞いてみたい.
つまるところ希望と絶望のバランスが必要なんだと思う.それでいて,自分の価値基準を更新し続けて,居心地悪い状態を維持できるか.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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