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エゴサをやめて封印してきたメェルというやつを返す生活を始めた.ぬるま湯である.

エゴサとは毒を体内に入れる活動である.言葉が通じなかったり思い込みが激しかったり社会に対する不満を見ず知らずの相手につぶやく人物を拾い上げて対話を始める行為である.考えてみればおかしいことだ.他者に不満的言及を突然始めるには何らかの社会的病理がある.いい音楽やいい絵画を見て素晴らしいと喜びを共有することとは訳が違う.常に不満を口から垂れ流している生き物には何らかのストレスや不満がある.苦しむ喜びを共有するか他人を苦しめる喜びを共有しているのである.その異常な状態の生き物と対話を始める.ここにイエスマンが揃っていく社会的条件に争う毒の接種活動の意味がある.エゴサとは自分の体に毒を用いる喜びの共有である.

それはそれで素晴らしいものなので12年以上続けてきたのだが,今年も何らかの変化を生活にもたらすことを喜びにしている自分としては,エゴサをやめてみるライフスタイルへ移行している.その代わりにメェルというものを返し始めた.電子メェルは非常に不便なツールであり,生産性を著しく低下させる.私はほぼメェルを返信することはない.連絡はチャットツールやリアルタイムのメッセージングツールを用いることがほとんどである.ラボのボスとしてPIになってから8年間,メェルを使う回数を極力減らしてきた.基本的にメェルを使わないことを中心に生きてきた.

これは修行である.対話不能の相手をインターネット上から選んで対話することで毒を接種し,対話可能な相手と,あえて非効率的な連絡手段であるメェルを使うという行為を行わない.つまり,対話時間を短く簡潔に,そして毒と向き合う時間を伸ばしていくことを志向することだ.この修行を8年続けてきたが,あえてやめてみることにする.毒を接種しない生活が謙虚さを失わせたり,怒りを減らしたりする効果があるかもしれない.しかし,喜びの共有をしやすい相手と連絡を取り合うことは喜びの共有として新しい展開を私にもたらしてくれるかもしれない.

エゴサをして毒を食べよう!

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