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落合陽一サマースクール2024

来週はサマスク.かれこれ7-8年くらいの歴史がある.(長い).

最近の定番になった文章は下のやつです.毎年アップデートされています.

こんにちは落合陽一です。いつの間にか36歳になりました。コンピュータの見方で宇宙のことを考えるのが好きです。好きな食べ物は鮎と鰻です。トラ彦っていう黒い大きな猫を飼っています。僕も24年くらい前までは小学生でした。小学生のときから猫が好きなのですが,私の実家はいつも犬を飼っていました.犬も好きなのですが,猫はもっと好きです.
小学生のときに読んだ夏目漱石という人の本に「吾輩は猫である」という本があります.吾輩は猫である.名前はまだない.この書き出しを覚えている人もいるでしょう.猫が風刺たっぷりに人間を見る作品です.この猫は漱石の家に迷い込んだ黒猫がモデルだと言われていますが,他にも実在のものをモデルにしたものがこの本には出てきます.お話の中の水島寒月という人物は寺田寅彦という人だと言われています.私の飼っている猫のトラ彦は寅彦さんからつけた名前でもあるのですが,寺田寅彦さんは物理学者で随筆家で芸術と科学を愛した人物です.そんな彼の書いた2つのエッセイを紹介します.一つは「化け物の進化」,もう一つは「科学者とあたま」です.
科学者とあたまから紹介します.『私に「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである』,こう書き出したエッセイは科学が文化の一つであることを語っていくのですが、途中、『頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう』と書かれています.認識の人であることが現代社会においてますます重要になっていると私は思います.また他にも私の好きな寺田のエッセイに化け物の進化がありますが,その中にも『科学教育はやはり昔の化け物教育のごとくすべきものではないか。 法律の条文を暗記させるように教え込むべきものではなくて、自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではあるまいか。これには教育者自身が常にこの不思議を体験している事が必要である。 既得の知識を繰り返して受け売りするだけでは不十分である。 宗教的体験の少ない宗教家の説教で聴衆の中の宗教家を呼びさます事はまれであると同じようなものであるまいか』といいます.こういう文章を読むときに中学生のときに読んだ,物理学者ファインマンの文章を思い出します.『まるで以前に見たことがないかのように、別の世界から考えるように』とか『好奇心に従え。それが人類を前進させる』とか私の知ってるファインマンさんは中学生の私にメッセージを届けてくれました.科学で今を見つめること,コンピュータで世界を眺めること,書籍を読みながら昔の人と対話すること.先人の残したものと対話することは「今は存在しないけれど,時代のズレた友達」を探す方法です.私は猫と本の中にいる素敵な友達たちについて語り合うのが大好きです.そんな友達を見つける習慣が生まれれば,皆さんの日常は様々に語り合える友達で満たされることでしょう.皆さんもこの夏に好奇心が刺激される素敵な友達が見つかることを願っています.

では良いサマースクールにしましょう! 


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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から4年以上経ち,購読すると読める過去記事も1200本を越え(1記事あたり3円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

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