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「脳死までの数分間」と「これからの一生」,どっちが「体感時間」として長いのかなぁって疑問を小学生くらいに持ち始めるじゃない,あれにみんなどうやって自分なりの答えを出して生きてるんだろう

落合陽一です.よく疑問になるこれ.何となく考えながら生きている.誰か研究してないのかなぁこの辺.目とか耳のセンサーと接続することでフレームレートを揃えてたCPUを接続やめたらそりゃすげえ体感時間になると思うじゃない.

外部のセンサーとのやり取りがなくなる.みんな何歳くらいからコンピュータ触り始めるのかわからないけれど,カメラのフレームレートっていうのはなかなかに遅い.それに合わせて処理時間を停止させると,カメラを含むルーチンの更新速度は極めて遅くなる.1秒に60回くらいしか回らなくなる.だから非同期にしたりしてうまくやり方を考えるわけだけど,人間の場合はどうなんだろうという疑問に,みんな小さい頃にぶち当たると思っている.近頃死について考えていたことがあったんだけれど,その続きのような話だ.

心臓が止まってから,死ぬまでの間に脳はすげえがんばるんだろう.臨死体験とか言われたりするけれど,死なないような模索だったり,恐怖の緩和だったり,外部センサーとの接続の解除だったりすることに起因して死ぬまでの時間って長いんじゃないかと思い始めてはや20年以上.夢を見ている体感時間は長いけれど処理時間は短いという話を小学生の頃に聞いてからずっとこれが疑問だ.生きている体感時間は忙しければ忙しい程短くなると思う.脳が疲れて記憶してられないからだ.しかしながら,実は奥底に記憶が埋まっているんじゃないかという淡い期待から,肉体の死を楽しみに生きていることが,自分がネガティブかつポジティブでいられる原因だったりするかもしれない.全てにおいて命の奪い合いも辞さない絶望と肯定感は死への冒険心と生への絶望から始まると思う.今日はそんな話を.

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