おばちゃんあり遠方よりさいたまに来る~岡崎体育と0/100思考の話~

0/100思考だと自覚していた。

どうせやるなら100パーセント、そうでなければ0、という思考回路は、精神論としてはストイックな美しさをもつけれど、生きるためには端的にしんどい。自分の退路を断ってしまうし、小休止を許さない許せない。あぁこのインターバルですべてがゼロに水泡に、と頭を抱えてしまう。

必然的に、自己肯定感が低い。100に届かなかった試みの「プロセス」を評価するシステムが脳内に存在しない。そんな「自分スケール」にのっとると、黄色いバイエルが終わらなかった私、mixiで友達を山のように作ることをしなかった私、大学の卒論の締め切りに遅れた私、入社日に道に迷って遅刻した私、いつもニコニコしてハンバーグとかこねる母になれなかった私、そのすべての私が、完全なる0点だ。今年と同じく来年も0を重ね、稀にたたき出す100も翌日の小さな(と人がいう)ミスで0になる。私が100になる日は一生訪れることはないんだと思っていた。

高校時代、ギターを習いたかった。ただし、数年後にギターの名手としてスポットライトを浴び、「彼女がギターを始めたのは16歳の夏だった」とロッキンオン誌に記される日がくることが確約されているのでなければ、私が開放弦をポロンと鳴らすその瞬間にはまったく意味がない、と心底思っていた。ギターを弾き始めるには、完璧な指導者に出会う必要があると考えた。

Googleの無い時代、「完璧な指導者」探しはとたんに頓挫し、私は結局ギターを習わなかった。Fが押さえられない。そもそも何年も、押さえようともしていない。ただ、超絶技巧のギタリストになれなかった0の私、が生まれた事実に、いつものように静かに絶望した。

0/100思考をやめようと決めたのは数年前だと思う。正確には、0と100の間に50ってのがあるんじゃないか、というごく当然の事実に生まれて初めて気がついた。さらに、50があるならおそらく0と50の間に25があって、それを「≒0」と切り捨てることはないんじゃないかと気づいたのが、初めて一人で向かった2019年6月のさいたまスーパーアリーナだった。

2年前のクリスマスイブ、インフルエンザにかかった私は子どもを実家に送り込み一人寝込んでいた。iPadにイヤホンをつなぎ、YouTubeが薦めるままエンドレスに流れ続ける音楽を聴くともなく聴いていたベッドの上で、何かの拍子に再生された岡崎体育の「Music Video」に、関西人の私の「おもろいことは正義」魂が揺れた。熱は39度近くあった。

カメラ目線で歩きながら歌う。ふいに横からメンバー出てくる。気に入ってる歌詞を画面いっぱいに貼り付けて感受性ゆさぶれ。

https://youtu.be/fTwAz1JC4yI


めっちゃあるやん。絶対どっかで見たことあるやん。なんならスペシャで流れてるMVなんか全部これやん、あるあるやん。

気に入った曲を猟奇的に繰り返し聴くクセのある私は、数十回「Music Video 」を聴いた後、この曲のメロディーラインがとても美しいことに気がついた。やばいぞこれ、岡崎体育、すごいんちゃうん。

その時、熱は、39度近くあった。

詳細は割愛するが、その後私は岡崎体育のアルバムを全て聴き、彼のキャリアについての記事の大半と、お客が全然入らない時代に彼がつづったブログを全部読んだ。

客席からもらったお題で即興曲を歌うライブ動画を一通り視聴し終えたころ「さいたまスーパーアリーナでライブをやる」というラジオでの発表に鳥肌を立てた。自分で働いたお金でアルバム「SAITAMA」を買い、たまアリのチケット1枚を入手した。

**

2019年6月9日、1万8千人が集まるたまアリにひとりでおそるおそる向かった私の右隣は、大阪からひとりで来たおばちゃんだった。あろうことか左側は新潟から来たおばちゃん。私を含め「ぼっち参戦」のおばちゃん3人を並べて座らせるとは何ごとや岡崎体育、と内心腹を抱えた。同時に、あの「太ったデブ」が、「切り傷みたいな細い目」で、「なにをやってもあかんわ」と歌う冴えなさで、西から東からおばちゃんを単身さいたまに向かわせるその求心力はなんだ、と驚愕した。

『鴨川等間隔』でも『エクレア』でも、右のおばちゃんも左のおばちゃんも、そして真ん中のおばちゃんたる私も、イントロを聴くなりそれぞれの想いで涙を流していた。ちらりと隣を見て、それぞれの人生が抱える何かをその一瞥で盗み見ようとして、見なかったふりをして前を向いた。そして、今1万8千人を前に歌う彼が「想像上のオーディエンス」に向かって敷布団の上で歌っていたというわずか数年前に想いをはせた。

想いをはせて、気がついた。私は気がついた。

0だったんだ、0をまず1にしたんだ。そこから5を経て10になり、時にはたぶん8になり5にまで戻り、そんな日々を否定したり、ちょっと調子に乗って、またぶちのめされたり、それでも腐りきらずに、たぶん0から1の小さな進歩をきちんと見つめ、進んでいくプロセスのひとつひとつの目盛りの1は1として、10は10として、決して0に切り捨てずに今日まで来たんださいたまスーパーアリーナに来たんだ京都府宇治の盆地から。

大阪から来たおばちゃんは、最終の新幹線で帰らんとあかんのよ明日仕事やし、とアンコール前に席を立った。泣きはらした顔がすがすがしいと思った。なんでそこまでして、さいたまのステージに立つ岡崎体育を見に来たのか、少しわかったような気がした。

***

さいたまスーパーアリーナの夜の2か月後から、私はボイストレーニングに通い始めた。たぶん、おそらく、私はプロのボーカリストにはなれない。100にはなれない。私が歌うことに意味はないけれど、「歌わない私」から目盛りひとつ分だけ進んだ自分のちっぽけな一歩を愛してみようと思えた。「ボイストレーニングに通ったことのある人生」を始めてみること自体を一歩と認めていいんだと思った。

100でなくていい、とあきらめた。すがすがしかった。

****

毎週何かしら書くといったん決めてnoteを始めたけれど書けない日々が続いて、やはり私の0/100思考が頭をもたげそうになっていたのが先週。書けないままに数週間過ぎた私を「0」と断罪しそうになったので、それでも書こうとする人生にしよう、とにかく10行ぐらい自己肯定感の低さについてでも書こう、とキーボードをたたき始めたら、書くつもりもなかったさいたまスーパーアリーナの夜を思い出していた。

徒然なるままに書いたので、いくら考えてもうまくオチがつけられない。

まあでもいい。100点でなくていい。とにかくこの文章を世の中に出してみる。だって、岡崎体育の音楽と初めて出会った日、私は39度も熱出してた。正気であのMVに出会っていたら、単に笑い飛ばして終わってたかもしれない。そう考えると、不完全だからこそ何かが生まれる瞬間があるかもしれないのだから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?