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怒りや悲しみが世界を変える

先週の社内研修で、奥田浩美さんに講演をいただきました。

大変刺激的な講義で、胸に残るような言葉が多かったのですが、その中で一番刺さったのが「怒りや悲しみもモチベーションにしていい」という話でした。

講義の朝、ちょうど怒りや悲しみについて考えていたところだったので、特に心に響いたのだと思います。

なぜ、怒りがうまれるのか

講義の朝、わたしが何を考えていたか。それは、なぜわたしは家族にだけイライラするのか?という疑問でした。
わたしは人に対しあまり怒らないのですが、怒りを感じる人間が世界に3人だけいます。それは、夫と娘と息子です。なぜ他の人に怒らないのに、その3人には怒りを感じてしまうのか。それは、この3人には期待をしてしまうからなのではということを考えていました。

こどもがマリオカートやる!と泣き叫ぶことにもイライラしてしまう…。

なぜこどもに対してイライラするかというと「こうしてほしい」という期待ゆえでしかないのだと感じます。
例えば、チームの人が思った通りの動きをしない時があっても、自分の思いなんて100%伝わるわけがないと最初から考えていれば、イライラせずに再度意図を伝えていくことが問題なく出来ます。
でもそれは、最初から理解してもらえるだろうという期待値がない、つまり相手に対して期待していないっていうことでもあると思うんですよね。(同様に自分にも期待していないということな気もします)それが良いのか?悪いのか?難しいところです。

でも、では人生において全く悲しみや怒りを感じていないのかというとそんなことはなく、無意識に蓋をしていることもあるんだろうということを、去年の研修を通じて感じていました。特に、ジェンダーに関する講演。

自分自身も気付いていない苦しみ

去年の研修では、笛美さんという方に講演に来ていただく機会があり、その際に「ぜんぶ運命だったんかいーーおじさん社会と女子の一生」という著書を読みました。そこに書いてある女性であるが故の笛美さんの苦しみは、私自身の人生と限りなく近く重なるものでした。

しかしその時驚いたのは、私はそれを苦しみだと微塵も感じていなかったことです。そして笛美さん自身も、かつて苦しみだとは気付いていなかった。自分自身も気づかない苦しみというものがあるんだということに、とんでもない驚きを感じたことを今でも覚えています。

怒りとか悲しみとかいうことは、基本的にはとてもネガティブだし、疲れるし、感じないほうが楽な感情です。すべて受け止めていたら自分自身の心が壊れてしまいそうなことさえあります。だからこそ、きっと思っている以上に心が鈍感になっている。でも、奥田さんの冒頭の言葉を聞いて改めて思いました。

私達はもっと怒っていいし、もっと悲しんでいいんだということ。

怒りや悲しみに目を向ける

怒りや悲しみに目を向けるのは非常に疲れるし、つらいです。だから蓋をする。でもそうすると、自分の気持ちがどんどんわからなくなってきます。自分自身がつらい想いをしないために閉めた蓋を開けたら、泣いている自分自身が出てくるようなものです。私は一体何を守ろうとしてきたのか。
ふと周りに目を向けると、自分自身と同じような怒りや悲しみを必死にやり過ごそうとしている人がたくさんいます。自分の感情に蓋をすることは、その人達に目を向けなくなることとも同じです。

私は心の中の期待値を逆転させるべきなんだと思いました。
こども達に対しては私の期待を押し付けるのではなく、ありのままを見る。世の中に対しては、もっと怒り悲しむ。そして、未来について期待する。

怒りや悲しみは世界を変えるきっかけとなるエネルギーになるのだから、もっと心を柔らかく保ち、感情を受け止め続けるべきだと感じました。素敵な講義を、本当にありがとうございました。

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