思いやりのみかん
今年もみかんのおいしい季節がやってきた。
みかんを見ると、私はある患者さんのことを思い出す。
当時の私は、娘を産んで1年間の育休を取り、復帰したばかり。
1年居ないうちに少し顔ぶれが変わったチームや、新しく出た薬の名前に目を白黒させつつ、『そうそう、こんな感じだったわぁ』と少しずつカンを取り戻しているところだった。
その患者さん(以降Kさんと呼ばせていただく)は、病状としては終末期といってよく、いろいろと現れる体の不調を和らげる処置を行いながら、入院生活を送っておられた。
私の父親より10歳ほど年上で、いつも穏やかな雰囲気をまとい、私たち看護師を気遣って下さる方だった。
笑うと目尻が下がって、とてもチャーミングなのだ。
ラウンドの途中でKさんとお話しする時間は、私にとって安らげる時間だった。
仕事中なので、そんなに長い時間立ち止まって話をしていたわけではないし、話す内容もたわいのないことだったと思うが、Kさんと、たまにお見舞いにいらっしゃるKさんの娘さん(明るくてさっぱりとした気持ちの良い方だった)と言葉を交わして笑いあう時間は、元気をもらえた。
ある日、私は夜勤に入り、Kさんの検温をしに部屋に伺った。
いろいろな話をする中で、私が育休から復帰ほやほやということを知っていたKさんは、
「大変だねえ。ちっちゃい子がいるのに、夜勤なんて」
と声をかけてくださった。
そして、おもむろに床頭台に置いてあったみかんを手に取り、
「これ、娘さんに」
と言った。
医療者は、患者個人から診療報酬以外の贈りものを受け取ってはいけないという決まりがある。
医療倫理で守るべき公正性に反してしまうからだ。
それがたとえあめ玉一つでもダメだ、と口酸っぱく言われていた私は、
「すみません、病院の決まりで受け取れないんです。Kさんのお気持ちだけ、ありがたくいただきます」
と答えた。心苦しかった。
Kさんは私の心苦しさを感じ取ったのだろう、
「そうか、そうだよね。ごめんごめん」
とすぐに引いてくださった。
自分の知人が困っていたり、忙しそうにしていたり、辛そうにしていたら、手を差し伸べたいと思うのは、ごく普通の気持ちだろう。
Kさんのような方なら、なおさら。
たぶん私も、患者と看護師の立場じゃなかったら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらっていたと思う。
実際、私はKさんの心遣いに内心とても感激していた。
私がああ言ったことで、Kさんは一線を引かれたように感じたんじゃないか。
みかんひとつくらい、「ありがとうございます」とこっそり受け取ればよかったんじゃないかと、勤務が終わってからも考えていた。
Kさんはしばらくののち、お亡くなりになった。
私はKさんの娘さんに、みかんの一件を伝え、優しい気遣いがとてもうれしかったことを話した。
娘さんは「そんなことがあったんですね」と、泣きながら笑っていた。
今年もみかんを食べながら、Kさんを思い出す。
隣で一緒に食べる娘は10歳になった。
今度、娘にこの話をしようと思う。
Kさんから受け取った思いやりを、娘に手渡そう。
そして娘にも、困っている誰かに当たり前に手を差し伸べる人になってほしい。
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