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可能性がありすぎてもしんどい

忘れることには高度なマインドフルネスがいる
イマココとは今以外を捨てること
電車の中は本がよく読める
自由がないこと
可能性ではなく不可能性

おはようございます。
今日僕はとても早起きです。
なぜならバイトがあるからです。
こんな正月になんでシフト入れたんやろって今は思ってしまってます。
ただ大した理由もないのにこの繁忙日に休むのは向こうにとても迷惑をかけるのでしません。
まぁお金も欲しいし。

朝というのは1番創作活動に向いている時間らしいですね。
思えば朝起きて直ぐにnoteを書くのは初めてな気がします。
少し寝坊気味に起きて電車の中でnoteを書いています。
昨日外山滋比古の「思考の生理学」を読んでいたんですけど、中国には「三上」という言葉があるらしいですね。
馬上・枕上・厠上の3つで文章を練るのが1番捗りやすい場所らしいです。
枕上は寝て起きてから直ぐなので文章がよく書ける。
馬上・厠上は自分の動きがある程度拘束されてるけど特別頭を働かせる必要のない時間です。
あ、ちなみに厠上はトイレの中にいる時を指します。
今僕は枕上・馬上なのかな。
果たして本当によく文章が書けるんでしょうか。

やはり色んな意味で忘れることは大切なんやと思わされますね。
集中をするのも雑念を忘れなければ成立しません。
そしてそれは自分1人でやるのは難しくて、時間や場所やタイミングも重要な要素です。
だから三上なんて言葉が残るんでしょう。
瞑想やマインドフルネスにも忘れるのは必要です。
今ここに集中をするということは、今ここ以外を忘れるということです。
それには今の自分の感情や身体に目を向けてそして自分の存在そのものを忘れることが必要になります。

昨日そんな感じで外山滋比古の「思考の整理学」を実家から下宿への電車の中で読んでいたんですが、よく集中して読めました。
僕にとって集中して読める場所は図書館や家よりも電車の中とバイトの休憩中ですね。
思うにやれることがあまりにも多すぎると集中するのは難しいんじゃないでしょうか。
可能性が無限大な若者の何となく難しいというか何をやって良いかわからない気分というのはここから来るのかも。
勿論この若者特有のやりづらさは視野を広くしたり人生を哲学したりする上では役にたつかもしれません。
しかし、色んな可能性があるというのも必ずしも良いことではない気がします。

可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。
我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。

大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。
自分の他の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。
今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。

森見登美彦の「四畳半神話体系」の樋口師匠は改めていいこと言ってるなぁ。
大学生で精神を病みがちな人にも結構当てはまる気がします。
忙しいから病むんじゃなくて暇だから病む。
可能性がありすぎるのも中々しんどいものです。
この暇さに寧ろ開き直って居座れる人間が哲学者にでもなるんでしょうか。
みたいなこと考えてたらそろそろ着きますね。
今日1日は繁忙日で忙しいらしくどことなく憂鬱でしたが、案外忙しい方が楽なのかもしれないですね。
それでは行ってきます。

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