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2023年、30代の上京物語

 2023年は激動の年だった。仕事の都合で数年住んだ田舎町から脱出し、都会で新生活を始めた。転居してから10ヶ月近く経過したため今更の感はあるが、このことを中心に1年を振り返って書き留めておく。なお、私の現住所は1都3県の3県のうちの1県であり、東京都内ではない。しかし、東京都心が通勤圏生活圏に含まれるようになったなら、それは「上京」と呼んでも差し支えないのではないか。実際、東京ドイツ村よりはだいぶ東京寄りである。というわけで、キャッチーさを優先してこのタイトルを採用した。

転職

 2022年春、私はマッチングアプリによる婚活に失敗した。自宅から50キロ以上離れた百貨店で調達したプレゼントを、相手の誕生日に贈った直後に振られた。まあまあ良いものを差し上げたので大変後悔している。

 そもそも婚活を始めた動機は、労働への行き詰まりを感じたためであった。前年の人事評価で組織全体の上位5%に入る評定を得たが、その結果不可解な人事異動に巻き込まれ、仕事ができない人と仕事をしない人のカバーをしながら職場の機能を維持することが私の使命となった。独り身で、かつ縁もゆかりも愛着もない場所にいながら、なぜ土地に根ざした人間の安定した立場を守るために頑張らなければならないのだろう。その状況を打開する手立ては、自分もこの土地にれっきとした戸籍上の縁を作り、彼らと対等になること以外に思い浮かばなかった。このままでは一生、どうでもいいはずの他人を憎み続けて終わる。コロナ禍での行動制限もあって、一層その思い込みが強くなっていった。

 この頃、仕事でお世話になった人に会いに行ったら「あなたはもっと、自分に有利な場所を目指しなさいよ」と言われた。苦悩が顔に出ていたのだと思う。

 夏になって、久しぶりにプライベートで東京を歩き回ってみると、止まっていた時間が一気に動き出して眩暈がした。街じゅうに据え付けられたデジタルサイネージが仮死状態の好奇心を刺激した。地方ではテレビやスマホを見る以外に広告に接する機会がないので、未知の価値観の侵入に対して無防備であっても、自分自身の常識、信条、アイデンティティを守り抜くことができる。だが、そうやって連綿と続いてきた平穏が、よそ者の私にはもううんざりだった。

 知人から首都圏の経験者採用求人案内が届いたのは、ちょうどその頃だった。この求人に懸けて、だめだったら何もかも諦めようと思った。だめだったら、の先に待つものと対峙したくないがために、いつになく真剣に試験対策をした。遠い昔、高校の先生が3年の夏ごろまで部活を続ける生徒に向けて「どんなに疲れていても毎日10分は単語帳を見るとかしなさい」と指導していたのを思い出し、残業で疲れて眠たくてもSPIの問題集を開く、面接準備のノートに1行でも何か書くなどのタスクを課していた。努力の甲斐あって無事に採用通知を受けとり、田舎町での労働生活に終止符を打った。そして、待ちわびて勝ち取った新生活は、思いがけない形で始まりを迎える。

同棲

 行動制限が解かれた頃から、私は「出会い」に貪欲になっていた。以前投稿した記事のとおり、出会い系掲示板に積極的に目を通していたし、Twitter(当時)のDMで誘いが来れば、多少遠くても同性異性、性交渉の有無を問わず会いに出かけた。現在の交際相手は、そんな軽薄な出会い厨ライフの中で対面したうちの一人である。

 彼は当時東京に住んでいたので、転職が決まる12月までほんの数回しか会っていない。無理に地縁や血縁を求めなくて良い環境に移るため、もはや結婚にはこだわっていなかった。なのに「なんとなく面白そう」という直感から、転職報告とほとんど同時に同棲の打診をかけた。まあ断られて交際が終わっても、首都圏は出会い系掲示板の投稿数がケタ違いに多いし、などと考えていたら、意外にも承諾の返事がきた。その日のうちにデリケートな個人情報を開示しあったうえで、住居探しが始まった。

 ところが、引っ越し時期を3月に設定する制約のある中で、適当な物件を探すのは困難だった。私は自立してからは1Kの部屋にしか住んだことがなく、交際相手も概ね同様の状況だったため、2LDK~3LDKの住宅供給事情をナメていた。12月中の内見で1軒目の不動産屋から「今すぐ申し込んで2月中からの契約をおすすめします。そろそろ良い物件が全くなくなります」と言われたのは、概ね正しかったようである。我々はその担当者の段取りが悪すぎた(内見先物件の鍵を忘れて待たされた)ため彼の言う事を一切信じず、2軒目の不動産屋の「1月になればまた別の物件が色々出てきますよ~」の口車に乗り、1月まで粘って情報提供を待った。運良く12月中に内見した部屋にキャンセルが出て契約はできたが、1月中に出てきた「別の物件」に提示条件を満たすものはなかった。

 その他の打ち合わせは大体電話かメッセージで済ませて、あとは仕事の合間に少しずつ引っ越しの準備を進めた。入居当日、先に鍵を開けて部屋を掃除していた私が相手方の引越し業者を迎え入れると、開口一番「ズボンのチャック開いてますよ!」と指摘された。新生活は最悪の幕開けとなった。三十路のパンツを目撃してしまった若い作業員さんに心底同情する。

新生活

 現在、東京近郊での生活はつつがなく続いている。他者と生活すると様々な場面で不満が噴出するものかと思っていたが、(私の方は)意外と何もない。強いて言えば生活時差が約4時間あって、出勤前に部屋を明るくしたり掃除機をかけたりできないことくらいだ。疲れていてどうしようもないときはサボっていて良くないが、できるだけ家事を進んでやるようにしている。

 同業他社でも新しい職場で働くのは大変だった。覚えることも多ければ時期ごとの忙しさも読めず、職場が抱く「経験者に対する期待」を超えなくてはというプレッシャーもあって、常に緊張していた。もう以前のような理不尽な環境ではないので、良い成果を出すのに集中しなくてはならない。仕事で感じる重荷は一人暮らしでもそうでなくても、さほど変わらないような気がする。

 それにしても、パートナーがすぐ近くにいることがもたらす安心感はものすごい。30数年間生きてきて初めて、帰りたい家ができた。紅白歌合戦のYOASOBIも、荒唐無稽な文句を飛ばしながら楽しく鑑賞した。

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