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#73:鴻巣友季子著『翻訳教室 はじめの一歩』
鴻巣友季子著『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま学芸文庫, 2021年)を読んだ。2012年にちくまプリマー新書として刊行された本の文庫化とのこと。知人から本書の存在を教えてもらった。感謝。
本書の中心的なメッセージは、「よく訳すためには、よく読めるようになること。これに尽きます。よく読めれば、よく訳せる。」(p.15)という著者の言葉に凝縮されているように思う。私は自分の興味関心から、著者の語る翻訳の話を、心理療法の実践や心理療法を学ぶ過程に重ね合わせて読みたくなる部分が多くなる。例えば、次の一文。
訳文は辞書のなかからは出てこない。あくまで原文の中からみんなの頭を通して出てきます。(p.84:強調は著者による)
心理療法(あるいは心理面接)においても、適切な関わりは、理論や専門書の中には書かれていない。あくまでクライエントに向き合いクライエントのあり方を理解しようと努めるなかから、自分の身についた振る舞いや言葉として生まれてくるものである。ただし、もちろん、最低限の基本的な知識と理論を学んでおり、良い意味での常識的な振る舞い方を身につけていることが前提となることは、言うまでもないのであるが。
この他にも、本書には、読むとは、想像力を働かせるとは、学ぶとは、理解するとは、言葉にして表現するとは、などなどといったことについて、深く掘り下げて考えていくための手がかりやヒントがあちこちに散らばっている。例えば、次のような文章に、私はハッとさせられた。
本というのは、物としてはこういう四角い決まった形をしてるけど、みんなの頭のなかに入ったら、どんどん姿や意味を変えていきます。こうやってめくって読むのだけが本ではないんです。記憶の中で何回も何回も読むから、どんどんおもしろくなる。本を読むのって、じつは本の内容を読み換えていくこと。もっと言えば、心の中で書き換えていくことなんです。これも一種の翻訳かもしれないですね。(pp.136-137)
あるいは、次のような文章。
ものをどう読むかというのは、ふだんどういうふうにものを見ているか、ということなんです。おおげさに言うと、あなたがどんなふうに生きているかというのが、文章や訳文に表れるということです。だから、翻訳というのは自分をさらけだす作業でもあります。(pp.116-117:強調は著者による)
著者は翻訳家として、あくまで翻訳の基本と本質について、平易な語り口で読者に手ほどきをしてくれているのであるが、翻訳という主題を越えて、あるいは翻訳という主題の思いがけない広がりに触発されて、読む人の立場に応じて、それぞれに自分の経験に引きつけて考えさせられることの多い本であるように思う。
少し前に、とある専門書の翻訳に強い不満を感じた経験があったこともあり、「そうだそうだ!」と膝を打つことの多い読書体験であった。