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#170:河合隼雄・柳田邦夫著『心の深みへ 「うつ社会」脱出のために』

 河合隼雄・柳田邦夫著『心の深みへ 「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫, 2013年)を読んだ。2002年に講談社から発行されたものを文庫化したものとのこと。本書は、柳田氏がホスト側として河合氏との間で折に触れて行われて発表されてきた対談を再編集してまとめたものである(最後に収められた対談のみは本書の底本に収録することを目的として行われたとのこと)。全編を通してとても読み応えのある本である。ちょっと残念なのは、本書のタイトルが必ずしも内容を適切に表しているとは、私には思えないこと。特に副題の方は、対談の内容とはほぼ無関係だとしか思えない。

 柳田氏と言えば、私が子どもの頃から、大きな航空機事故が起こるたびに、NHKのニュース番組でお見かけしていたような印象がある。柳田氏の著作は多いが、あまり読んではいない。確実に読んだ記憶があるのは、『フェイズ3の眼』(講談社, 1984年)と、本書でも繰り返し話題に取り上げられている『犠牲 わが息子・脳死の11日』(文藝春秋, 1995年)くらいか。他にも読んでいる気はするのだが・・・。一番最近読んだ『人生の一冊の絵本』(岩波新書, 2020年)は、私にとって未知の多くの絵本を紹介してくれる素敵な本であった。

 本書に収められたどの対談も、基本的には柳田氏の問いかけに河合氏が応える形で進んでいく。対談の時期によって(最初の対談が1985年、最後に収められている対談が2002年)テーマは少しずつ異なるが、基本となるテーマは<現代社会における科学技術を最優先する価値観への疑義>で一貫していると言えるだろう。例えば河合氏は、自然科学こそが絶対的に正しいとする「自然科学主義」はイデオロギーであり、その姿勢は限りなく宗教に近い位置にあること、西洋の自然科学はキリスト教の信仰とセットになっていることを繰り返し指摘する。こうした論点は、今では目新しくは感じられないだろうが、そうした見方が一般的ではなかったと思われる頃から、河合氏が心理臨床家としての活動の初期から、一貫してその立場から臨床に取り組み、思索を重ね、発言してきたことには注目すべきだし、そのことは重く評価されるべきだろう。

 西洋近代が生み出した自然科学とそれを応用した技術が解決してきた問題と新たに生み出した問題について、そうした知識と技術が届かない個別の、個人の価値判断の領域について、一人ひとりが人生を歩んでいく過程においての他者との関係のあり方の重要性について、いずれの対談においても幅広く縦横無尽に語り合われている印象である。

 もちろん著者たちは自然科学を否定しているのではなく、自然科学の目が原理的に届かない、そしてそうした視点からはしばしば取りこぼされがちな領域が個人の人生においては極めて重要であることを、さまざまなテーマを通じて確認し合っているのである。河合氏が「カウンセリングっていうのは、道具があるとしたら自分自身という、人間なんです。人間ができてなかったら話にならないんですよね。」(p.153)と語るのに、私は深く頷く者であるが、こうした言葉は、特に文脈から切り離して取り上げられると、現代のいわゆる「エビデンス」を重んじる論者たちからは痛烈に批判されることだろう。

 著者たちの対談を読んでいると、対談の中に出てくるキーワードを借りて、「一人称の人生」「二人称の人生」「三人称の人生」といった観点からいろいろなことを考えてみたくなる。そのうえで、そうして考えたことを、自分の仕事の中でどのように具体的に実践していくかが、私にとって肝腎要の課題であるのだが。