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#111:村上靖彦著『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』

 村上靖彦著『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書, 2021年)を読んだ。本書には、人と人とが関わるうえでとても重要なことが、コンパクトに凝縮されて書かれている。直接には、副題にもある通りに看護と福祉の領域でのエピソードを中心にまとめられているが、本書に示されていることは、ほぼそのまま、私の専門領域である心理臨床や心理療法の場面にも当てはまると、私は思う。

 本書の内容について、取り上げて私の考えを書き添えたい箇所はたくさんあるのだが、そのうち、ここでは深く印象に刻まれた次の一節を引いておきたい。

 「なんでこの子死ななきゃいけないんだろう?」という問いには答えがない。その問いによって何かが起きるわけではない「純粋な行為」である。だが確かなことは、誰かが聞き届けることで、この問いが行為になったということだ。 そして、こうした重い問いかけは語る相手を選ぶ。問いを発することも難しい上に、言葉を投げかけても受け止めてくれる、信頼に足る宛先が必要になる。その宛先になれるよう、「ただ居る」というのが、さまざまな技術を削ぎ落とした後になおも残るケアの核心なのかもしれない。(p.188)

 著者のこの言葉は、私が考えている心理臨床の本質を、私には思いがけなかった角度から射抜くものであると、私には感じられた。

 著者は現象学を専門とする哲学研究者。著者のフィールドワークの仕事については、時々私の視野をかすめることがあったのだが、その著作を読むのは今回が初めて(世代は違うのだが同姓同名の著名な精神病理学者がいらっしゃって、私のイメージの中では混同されていた)。著者はあとがきに、「本書は哲学者の名前がほとんど登場しない哲学書でもある」(p.230)と記しているが、同感である。本書を読むことで、読者は著者がインタビューを通じて経験してきたことに立ち会い、著者の問いかけを聞き、著者との対話に誘われる。そのプロセスは、本書に示されている内容と同型のものであるとも言える。

 著者が本書で示してくれているものとの対話は、私自身の考えを彫琢し展開することを大いに助けてくれそうな予感がある。本書を読み返しつつ、あるいは著者の他の著作も読んでみながら、じっくりと考えてみたい。