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#168:安克昌著『新増補版 心の傷を癒すということ 大災害と心のケア』

 安克昌著『新増補版 心の傷を癒すということ 大災害と心のケア』(作品社, 2020年)を読んだ。底本となっているのは、『心の傷を癒すということ 神戸……365日』(作品社, 1996年)で、同書は同年の第18回サントリー学芸賞を受賞している。東日本大震災を契機に2011年に増補改訂版が出版され、さらに増補が行われて刊行されたのが本書という経緯になるようだ。

 新増補版として本書が刊行されたきっかけには、震災後25周年を迎えるということに加えて、著者をモデルとしてNHKがドラマを制作したこともあるようだ。2020年の1月半ばから全4回で放映されたドラマを、私はリアルタイムで視聴したが、制作陣が力を入れて丁寧に作り込んだことが伝わってくる、静謐で力強い秀作であった。そのドラマを視聴したことが、震災直後に刊行された時からその存在を知りながら、なかなか手に取る機会がなかった本書を、改めて読んでみようと思うきっかけとなった。

 本書は、著者が自らも被災しながら、被災地の内側で文字通り懸命に、未曾有の事態の中で精神科医療に取り組む中で、「心のケア」を試行錯誤しながら実践し、その意味について考え続けた、リアルタイムのルポルタージュであると言える。それは半ば文字通りに心身を削るような作業であったのではないだろうか。内容としては、「渾身の」と形容したくなるものでありながら、その文章の筆致は、あくまで静かで柔らかい。そのことに、とても驚かされる。もちろん、著者には、こうして記録にとどめられた文章には表すことができない、あるいは書かれることのなかった、さまざまな思いが日々渦巻いていたのではないかと想像する。書き留められて残されたものは、著者の経験したこと、考えたことの一部に過ぎないであろうが、たとえそうではあっても、やはり本書のかけがえのなさは何ものにも替え難いと思われる。

 先述のように、底本に対して二度にわたって増補が行われているが、その分量は底本に匹敵するか、それを上回っており、その内容も非常に充実している。そこには、著者が心のケアや災害精神医学の問題を、狭い意味での精神医療の問題としてではなく、被災者や被害者が生きる、そして生きてきた、社会のあり方の問題として捉えようとする姿勢が一貫して表れているように思われる。例えば、京都大学での講義をもとにまとめられ、著者が亡くなられた後に発表された文章の中の次の一節からは、臨床のあり方が社会のあり方と地続きであることを改めて考えさせられる。

  ここで私が試みたことは、多くの被災者が感じていながら言葉にしにくい、被災体験の心理的側面を明らかにすることだった。それは心の傷や苦しみだけでは無い。「なぜほかならぬ私に震災が起こったのか」「なぜ私は生き残ったのか」「震災を生き延びた私はこの後どう生きるのか」という問いが、それぞれの被災者のなかに、解答の出ないまま、もやもやと渦巻いているのだ。この問いに関心を持たずして、心のケアなどありえないだろう。苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場を持たない。それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ。臨床の場とはまさにそのような場に他ならない。傍らに佇み、耳を傾ける人がいて、はじめてその問いは語り得るものとして開かれてくる。(p.324)

 ここに表れているのは、著者の思い出を書き綴る、交流の深かった方々の何人もが、繰り返し「品格」という表現で言い表し、decentという言葉で形容する何ものかであるように、私には思われる。