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#568:渡辺一樹著『バーナード・ウィリアムズの哲学 反道徳の倫理学』

 渡辺一樹著『バーナード・ウィリアムズの哲学 反道徳の倫理学』(青土社, 2024年)を読んだ。本書は新聞広告で見て、どうにも気になった本。そもそも“バーナード・ウィリアムズって誰?”と思うくらいで、どこで目にした、あるいは聞いた名前なのかも実は定かではない(苦笑) 新刊書店の店頭で確認すると、装丁がとてもかっこよい。ああ、水戸部功氏の装幀か。なるほど。という具合に、“ジャケ買い”の要素も含みつつ購入して読んでみた。

 私がバーナード・ウィリアムズの名前に見覚えがあった理由は、本書を読んでやっとわかった。古田徹也氏の本(『それは私がしたことなのか 行為の哲学入門』新曜社)で比較的丁寧に取り上げられている人だったのか。本書でも扱われている防ぎようのない事故を起こした運転手の事例は、確かに覚えがある。

 本書は、「20世紀イギリスの哲学者であるバーナード・ウィリアムズの思考を解説するものである」(p.7)という著者の言葉通りの本である。著者は1995年生まれとあるからまだ20代。若さで人は測れないが、それにしてもこれは立派な仕事ではないか。私にとって、ほとんど馴染みのないこの哲学者の思索の展開の跡を丁寧にたどり、わかりやすく(しかし過度に単純化することなく)解説してくれている。最後まで気持ちよく読むことができた。

 著者が「おわりに」の中で、「ウィリアムズその人が体系的な理論への警戒心を表明していたこともあって、その思考をひとつの体系として描くことは困難である。」(p.215)と述べているように、ウィリアムズの思索の内容を要約することは難しい。著者は、先に引用した文に続けて、「とはいえ、本書は、ウィリアムズの思考をつらぬくひとつの糸として、反道徳の倫理学の動機をみさだめてきた。」(同上;強調は原著者。ただし原著では傍点による)としており、副題にもある通り、そこに本書の立場がある。つまり、「道徳」と「倫理」とを区別して考えるところに、著者はウィリアムズの哲学の中心的なモチーフ(もちろん、それはウィリアムズが取り組む問題やその時期に応じて多様に変奏されている)を見ているのだ。私の心理臨床の関心から見れば、それは普遍的な原理に回収することで問いに答えるのではなく、あくまで個別的な文脈に沿って、そうした文脈における意味の重要性を手放すことなく、それぞれの個別的な問いに答える/応える道筋を手探りしていく営みであるように思う。それを“臨床的な思索”と呼んでも、あながち間違いではないのではないかと思う。

 近年の心理臨床におけるエビデンス重視の掛け声は、支援のあり方の有効性を社会に示すことに性急な姿勢であり、そもそもそれぞれの支援が目指すものがそれぞれの当事者にとって持ちうる価値の問題を不当に蔑ろにしているように私には思われ、苦々しい思いをする機会が多い。そのような私にとって、ウィリアムズのような思索を展開した哲学者を知ることは、とても心強い。

 普遍的な原理に回収することが適切なものと、あくまで個別的に不確実性をはらみながら取り組むことが適切なことを、丁寧に見定めていく力が、心理臨床の仕事には不可欠であると私は思うし、そうした意味での“心理臨床の倫理学”が広く議論されることが喫緊の課題になっていると私には思われる。

 本書に戻って、著者の文章は読みやすく(一般には漢字で表記される副詞をほぼすべてひらがなで表記するのは著者のこだわりだろう)、巻末に置かれた読書案内もたいへんありがたい。この若い著者の仕事には、今後注目していきたいと思う。すくすくと、良い仕事をされていくことを(勝手に)期待したい。

 良い本を読ませてもらったことを、著者に感謝したい。