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#166:斎藤慶典著『危機を生きるー哲学』

 斎藤慶典著『危機を生きるー哲学』(毎日新聞社, 2021年)を読んだ。著者の本は、以前に『中学生の君におくる哲学』(講談社, 2013年)を読んだことがある。そもそも著者を知ったのは、野矢茂樹編著『子どもの難問』(中央公論新社, 2013年)を読んだことがきっかけ。

 本書はおそらく若い読者を想定して、直接語りかけるスタイルで書かれている。哲学の専門用語を使うことは極力避けられており、使われている語彙そのものは平易であるが、内容は部分的に相当難解である。正直なところ、私の理解力では追いつけない部分がかなりあった。本書中で一番参照される機会が多いのはハイデガーであり、本書における著者の思索の下敷きになっているのはハイデガーの哲学だと思われる。

 本書の中心的な主題を、「ある」ことの無根拠性と、「この私」に「現に」開けている「この世界」の唯一性に要約することができるだろう。これらのテーマの展開と絡まり合いが、「危機を生きる」という本書のタイトルの内実として論述されている。

 私が個人的に本書で興味を惹かれたのは、創発性についての指摘と、<こちらからあちらへ>(「自ら」)と<あちらからこちらへ>(「自ずから」)との出会いをめぐる論述である。

 創発性が新しい秩序の生成であると同時に、その新しい秩序のもとでは既存の要素の意味と振る舞いも変化するという説明(と私は理解した)が、私には新鮮だった。今思えば、創発性とはもともとそういう意味なのだろうが、私はこれまで別の文脈で少し違った理解をしていたのだ。「新しいものが生まれる」という契機の方にばかり目が行っていて、「そのもとで何が起きるか」の契機の方を軽視していた。後者の契機に注目すれば、別の文脈での私の理解がそもそも不十分だったことが、今回はっきりとした。ありがたい。

 <こちらからあちらへ>と<あちらからこちらへ>との出会いについては、要点をまとめた著者の次の文章を引用しておきたい。

 <こちらからあちらへ>向かう動向の高まりは、<こちら>の力で<あちら>を圧倒してしまうことでもなければ、<こちら>の力で<あちら>を覆い尽くしてしまうことでもない。そうなってしまったら、<あちら>はむしろ隠れ・歪められてしまうからね。そうではなく、<こちらからあちらへ>向かう動向はその強度を増せば増すほどむしろ透明になり、<あちら>がおのれを顕わにするがままに任せ、そのようにして<あちら>を解き放つのである。(pp.109-110)

 著者はこのことを芸術を一つの例に挙げて説明するが、私にはこのことは心理臨床の場においてクライエントと出会い、クライエントに耳を傾けることにもまたよく当てはまることであると思える。ただし、心理臨床の場においては、原理的にこのことが双方向的に生じていることに注意しなければならないし、心理臨床の場において「強度を増す」とは具体的にどのようなあり方のことで、「解き放つ」とは何が起きることであるのかについて、改めてよく考えていく必要があるのだけれど。

 本書を読んで改めて、私は存在論的な思考のスタイルを苦手にしていることを確認したけれど(笑)、その一方で、自分の仕事についての理解を深める手がかりとして、こうした思考が参考になること、あるいはもしかすると避けては通れないかもしれないことを、考えさせられる機会となった。