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#102:吉川浩満著『理不尽な進化 増補新版 遺伝子と運のあいだ』

 吉川浩満著『理不尽な進化 増補新版 遺伝子と運のあいだ』(ちくま文庫, 2021年)を読んだ。原著は2014年に朝日出版社から刊行されており、加筆修正のうえ、付録となる書き下ろしの章が付加されたのが本書とのことである。本書については、刊行直後くらいの時期に知人から勧められて知ってはいたのだが、読む機会を掴めずにいた。この度、文庫化されて店頭で平積みされているのを見かけて、今こそと、手に取った次第。

 本書のテーマはタイトルの通りに進化論であるが、本書の重点はむしろ「理不尽」の方にある。本書のクライマックスは終章であり、末尾近くになって「ウィトゲンシュタインの壁」のトピックが登場するあたりに至って、著者の課題意識の全貌と、その射程の広大さが明瞭なものとなる。「進化論について勉強してみよう」と思って読み始めたら、いつの間にか、予想もつかなかったどでかい問題圏域に連れ出される・・・という体験を、多くの読者はすることになるだろう。私も、「こういう本」だとは予想していなかった。

 著者が本書で問いかけている問題は重い。とてつもなく重いと言えるだろう。私たちは、知らず知らずのうちに、著者の言う「恥知らず」な考え方、生き方に陥っていないだろうか。著者の言う「識別不能ゾーン」を無かったことにしてしまう動きに加担してしまってはいないだろうか。著者が文庫版のために書き下ろした付録の最後に引用される、ウィトゲンシュタインが愛弟子に宛てた書簡の中の言葉が、胸に重く残る。

 本書の中でも私にとって特に大きな学びの一つになったのは、「説明と理解」という節の中の、「循環的構造とコミットメントー歴史的思考とはなにか」という小見出しのパート(pp.302-308)と、「理不尽に対する態度」という説の中の、「方法と真理ー論争後半戦」(pp.343-351)という小見出しのパートである。ここで著者は、理解をめぐる哲学的解釈学の議論の要点をガダマーの見解を中心に整理して示しているのだが、それが結構私には目から鱗であった。

 非常に私的な話だが、20年以上前から勉強に取り組み続けているテーマの一つに、精神分析家のドンネル・スターンが用いる「対人関係の場」という概念がある。自分では、この概念を、「その場の当事者たちの経験の可能性を制約すると同時に、そもそも経験を可能にする条件」として理解して使ってきたのだが、次のような著者の文章を読んで、大袈裟に言えば、ちょっとその場で飛び上がってしまった。

 ・・・だから先入見というものは否定的なばかりではない。たしかにそれは解釈者に種々の制約を課すが、歴史という観念はむしろそうした制約によってこそ生み出されるのであり、その意味でそれは産出的(produktiv)なものであるのだ。(p.307)(原文では「産出的」は傍点付き)

 そうか! ガダマーの先入見の考えとスターンの対人関係の場の概念との間には並行的な対応関係があるのか! スターン自身、著書の中でガダマーを繰り返し引用しているし、あるいはスターン自身が先入見と対人関係の場の間の近縁的な関係についてどこかに書いているのかもしれないが、私はそのことをはっきりと自覚的には理解していなかった・・・。何という不覚!! これまで半ば意図的に避けてきたことだが、これはやっぱり、ガダマーをきちんと読むことに取り組まねばならないようだ。考えただけで気が遠くなりそうになるのだが(笑)、年貢の納め時なのかもしれない。

 本書の一番の魅力は、著者の問いの立て方のセンスにあると私は思う。とりわけ昨今自然科学の知に押されっぱなしになりがちな人文知の底力を読むものに知らしめてくれる、そしてまた読書することに本来備わっている至福の時間を味合わせてくれる、第一級の書物であると思う。