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#576:レイモンド・カーヴァー著『CARVER'S DOZEN レイモンド・カーヴァー傑作選』

 レイモンド・カーヴァー著『CARVER'S DOZEN レイモンド・カーヴァー傑作選』(中公文庫, 1997年)を読んだ。1994年に中央公論社から刊行された単行本を文庫化したものとのこと。本書は訳者の村上春樹氏がセレクトした作品集で、村上氏自身の個人訳による『レイモンド・カーヴァー全集』(中央公論社)をさらに新たに訳し直したものとのことである。

 私の手元には、大学生の頃に購入して以来未読のままになっている『ぼくが電話をかけている場所』(中公文庫, 1986年)があるので、本書と収録が重複している作品を少し見比べてみたら、確かに細かく修正されている。村上氏自身がどこをどう修正しているのかを読み比べるのも(できれば原文を参照しつつ)面白そうだ。私にはそのような余裕は作り出せそうにないけれど。

 前記のように、私はかれこれ40年近くカーヴァーの短編集の文庫を手元に持ち続けながら(この間何度引っ越したことか)一度として読むことがなかった。なんでだろう? どちらかというと、そこまで読むことなく手放しもせず手元に置き続けている本を、そもそもどういう経緯で購入したのかの方が不思議かもしれない。自分のことながら、時間が経ちすぎて、もはやよくわからない(苦笑)

 私がカーヴァーの作品をはじめて読んだのは、つい最近のことだ。平石貴樹編訳『アメリカ短編ベスト10』(松柏社, 2016年)に収録された「シェフの家」という作品。何でもないように思える短編なのだが、しびれた。その後、本書を中古書店で見かけて購入し、今回ようやく読んだというわけだ。『ぼくが電話をかけている場所』の方はいつ読むんだろう?

 本書の収録作で、特に私が感銘を受けたのは、「大聖堂」「ぼくが電話をかけている場所」「ささやかだけれど、役にたつこと」。いずれの作品も凄いなあと思うのだが、自分が何を凄いと感じるのかを説明することは難しい。それぞれの作品で、その終結部を読んでいると、胸がじんわりとするとしか言いようがないような。哀しさと温かさとが同居しているような感じとでも言えるだろうか。

 私は本書がとても気に入った。この先、機会を見つけては、少しずつカーヴァーの作品を読んでいくことになりそうだ。