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#114:田中千穂子著『関係を育てる心理臨床 どのようにこころをかよわせあうのか 専門家への手びき』

 田中千穂子著『関係を育てる心理臨床 どのようにこころをかよわせあうのか 専門家への手びき』(日本評論社, 2021年)を読んだ。著者の本は、これまで、『心理臨床への手びき 初心者の問いに答える』(東京大学出版会, 2002年)、『プレイセラピーへの手びき 関係の綾をどう読みとるか』(日本評論社, 2011年)を読んできた。いずれも内容において類例の少ない優れた本であり、機会あるごとに人に勧めてきた。本書もまた、その延長上にある、いっそう著者の姿勢が突き詰められて徹底した本であり、心理臨床ならびに心理療法を実践し、学んでいる人たちに強く推奨したい本である。

 本書がどのような本であり、著者のどのような思いのもとに書かれた本であるかは、「おわりに」を読むとよくわかる。それは例えば、次のような一節に集約されている。

 私はこの本で結局のところ、相手と自分の関係のなかで、どのように自分のからだで受けとめた感覚や感情をのぞき、みつめ、さぐりながらそれらをことばという認識のレベルに抽出していったか、という過程を描き抜いています。心理臨床家が自分のセンスを磨くには、これに尽きると私自身は考えています。(p.277)

 続けて著者は、近年、心理臨床家を目指している人々に、理論や技法を学んで相手に適用すればこと足りると考えているかのような風潮が多く見られることに懸念を示したうえで、それではうまくいかない理由として、知的な理解だけではこころの全体性に届かないことと、そこではクライエントとセラピストの関係のあり方が軽んじられてしまっていることを挙げている。つまり、心理臨床家自身が自分の心と身体のあり方とそのつながりにしっかりと向き合うことと、クライエントとの間にしっかりとした関係を築き育むこと、これらにできるだけ努めることが不可欠であるということが、著者の実践してきた立場であり主張であると読みとることができる。こうした著者の立場に、私は全面的に賛同する者である。

 そもそも、私がこのブログのあちこちに手を替え品を替え、同じことをああでもないこうでもないとこねくり回して、一人で呻吟しているのは、「心理臨床の仕事って、クライエントに時間をかけて向き合っていこうとすることが大前提じゃないの?」ということを、どうしたら、そうは考えていないように私には見える(私にはそう見える人々からは、「もちろんそうしています。あなたなんかより私たちの方がよっぽど結果を出しています」と、軽く鼻で笑われそうであるのだが)、とりわけ心理臨床を学び始めて間もない若い人たちに伝えていくことができるだろうかという、私にとって(のみ?)の切実な問題である。

 著者が本書の中に書き留めようと努める、心理臨床家としての懸命な姿、率直さ、正直さ、粘り強さに、私は深い共感を覚える。私も、そのように仕事をしたいと思い続けてきた、そして今も思い続けている一人である(もちろん思うほどにはできないのだ)。私にとっては、本書から立ち上がる著者のイメージは(私は活字になった文章を通じてしか著者のことを知らないのだが)、私がその言葉で理解する範囲での、「authenticな心理臨床家」の範例の一つである。

 内容にではなく、本としての体裁について一つだけ注文がある。私が一読して気がついた範囲でも、少なくとも20箇所程度は校正漏れと思われる単純な表記ミスがある。この種の本としてはミスが多いと言わざるを得ない(もちろん、もっとひどい例に出会ったこともあるが)。著者の「私の代わりに私の心理治療のエッセンスがつまった本を残していこう」(p.276)という思いにも鑑みて、第2刷以降で十分な修正がなされることを希望したい。